令和8年10月23日

石巻市釜谷。北上川の河口近くに位置する、旧大川小学校を訪ねた。東日本大震災で甚大な被害を受けた小学校である。

大川小学校の児童と教職員は、避難の最中に大津波にのまれた。児童74人と教職員10人が犠牲となった。あまりにも痛ましい出来事である。その中には、自分よりもずっと小さい子もいたはずだ。苦しかっただろう。冷たかっただろう、と思うとやりきれなくなった。

広い校庭の向こうに、緩やかな曲線を描く校舎が残されていた。かつては子どもたちの声が響いていたであろう場所。

校舎は取り壊されることなく保存され、令和3年から震災遺構として一般公開された。


津波の痕跡が強く残る。

とてもおしゃれな作りだったことが分かる。

昭和60年に建てられたようだ。


教室の壁は失われてしまっていた。

震災当日、地震の発生から津波の襲来までは約51分だった。

その時間の中で、安全な場所に避難しきれずになってしまった。鉄筋コンクリートがこうなるほどの威力だ。波に飲まれたら、と思うと悲しくなってくる。


湾曲した校舎に沿って並ぶ教室群。珍しい教室の形をしていたんだろうな。


2階部分にも窓ガラスを失った教室が並ぶ。

1、2年生の教室は、なんと円形校舎の中にあったようだ。

多分、これがその教室だった部分。

頑丈なコンクリート造の建物でさえ、津波の力には抗えなかったことを実感する。


ねじれるように倒壊した渡り廊下。

震災から15年以上が経過した今も、この場所には当時の痕跡が残っている。失われた日常は二度と戻らない。それでも、校舎を残し、記憶を伝えていくことには大きな意味がある。静かな校庭を後にし、ここで生きた人々のこと、そして命を守ることの重みを、改めて胸に刻んだ。