平成29年9月6日、再訪:令和6年4月29日
まだ廃線になってから日の浅い長野電鉄屋代線。駅舎他線路がなくなっているところもあるが、幾つかの駅はそのままに残されている。今回は屋代線の信濃川田駅と松代駅に行った。松代駅は特に記述することもなかったため、このHPでは紹介していない。
待合室に残る掲示物。この辺は現役当時のままだ。
駅標。今にでも電車が来そうなくらい綺麗だ。
昭和32年製造の車両。運転席もへばりくっついて頑張って撮った。
ホームとは逆側の塗装はひどく剥げてしまっている。こちら側によく日光が当たるらしく、それで劣化が進んでしまっているという。私の自宅では、同じ機種の冷暖房器が2台、別々の部屋に設置されているのだが、日当たりの良い方の冷暖房器は鏡面が日焼けして元の白色からクリーム色になってしまっている。直射日光の強さは以外と侮れない。
全面。
こちらは昭和24年製造の車両。床は木張りだ。
待合室。良い字体だ。 撮影と見学を一通り終えた頃、ここの地区長をされている方に声を掛けられた。この駅の有効利用方法を考えていて、どのようにここを知ったのかを教えて欲しいとのこと。ブログを見て、と答え、せっかくなのでその方としばらくお話をした。昭和32年の2000系と、昭和24年の床が木製の車両が中には入れないものの、静態保存されている。昭和30年頃から勝を作る際にアスベストが全国で使われ始めたらしく、2000系にもアスベストが使われていることが今年の四月に分かり、廃車にするかアスベストを取り除いて保存するかで周辺の団体と議論しているようだ。廃車にするには1000万円以上掛かるし、保存するにも、南側は紫外線で塗装が剥げ錆びついてしまっている。駅前の広場をどうするかも街の団体で議論になっている。とりあえずは周辺の三市で周辺の線路はサイクリングコースや遊歩道にすることで合意し、既に作られているようだ。しかし、駅舎やホームをどうするかは決まっていない。駅舎は大正時代に建てられたもので、耐震性はなく、震災で被害が出ても補償が難しいという問題もあるらしい。問題は山積だ。他の地方自治体も困っているように、廃駅の有効利用と観光地化には色々な問題がつきまとう。何か良い案はないかな?と言われたが難しいですよね、と共感することしか出来なかった。それが悔しいのだが、廃線を利用した観光地化は成功したところは少ない。綺麗に保存されてはいても、肝心のお金を落としてもらうシステムを作り出すのは難しいことなのだ。お礼を言い、信濃川田駅を後にした。
松代駅については紹介しないと書いたが、全くふれないのも寂しいので画像だけ載せておく。駅舎全景。
ホーム上部。
待合室。
~ここから再訪~