【大分】廃リフト&志高ロープウェイ船原山駅跡を散策!

令和4年3月20日

かつて別府の街には、現在あるラクテンチと呼ばれる遊園地と、既に廃業となった志高ユートピアとを結ぶリスト及びロープウェーが存在した。 まずは志高ユートピア側のリフトとロープウェーの駅を目指し、 志高湖キャンプ場の駐車場から伸びる林道を上っていく。
駐車場から歩いてごろ分程度まではなだらかな上り坂が続き、体力的には全く問題はない。
しばらく歩いていくと、リフトと交差する。ここから左側がかつての志高ユートピアとつながっていた。 ユートピア側へ進むのは困難であり、 今回のお目当てはあくまでも60の方であるため、右へとあゆみを進める。
リフトの中間地点だったからであろう監視所が残っていた。
ここからリストと並行してあることとなるが、リフトは森に侵食されており、リフトの真下は歩いて行くのは相当な困難が生じる。そのかわり10メートルほど先に、防火帯として、一定の幅分、植物が刈り込まれているため、そこを歩いていけば良い。
防火帯から見るリフトの残骸。
リフト、 ロープウェーともに平成10年に 廃止となっており、 すでに25年もの間山の中にひっそりと あり続けているのである。そのためご覧のように木々に侵食され、もはや人の近づき方がないほどにまでなってしまっている。 ただしこれはまだ3月の写真であるためにリフトが見えているのだけであって、きっとこれから 高槻始める頃には、瞬く間にリフトは森の中へと消えてしまうことであろう。
道自体は刈り込みがなされているため、雑草が鬱陶しいと言う事はなかったが、上に行くにつれて勾配がものすごいことになっていく。リフトの頂上駅付近は、 もはや崖と言わんばかりの傾斜である。 45度はあるであろう。春先でこんなに色が上がるとは思わなかった。きっと夏だったら大変なことになっていたであろう。
そしてようやく上り詰めた先に…
リフトの乗降場があった。
荒れに荒れた従業員室。
別府国際観光株式会社が運営していた。リフトの設置はこの看板から見るに昭和57年と判断できる。
かつて置いてあったベンチが解体されてまとめて置かれていた。
従業員室からは、別府の街街と海が見渡せた。とてもいい景色だ。
お次はロープウェーの駅、 船原山駅跡だ。
コカコーラ製の自動販売機が残されていた。扉が開けてあったが、さすがに当時のペットボトルや缶は残されていなかった。
ロープウェー乗り場からの景色。 ゴンドラからの眺めはさぞかし良かったであろう。
だってこんな景色が目の前に広がっているんだもの。
船原山駅跡には「志高」号が 残されている。アームの影響なのか、どうあがいても乗れない位置までにゴンドラが上がってしまっている。反対側の立石山駅跡側のゴンドラは、逆に乗れないほどにまでゴンドラが沈んでしまっている。なんだか対照的で面白い。
ちなみに階段のコンクリートの一部が剥落しているため、散策には充分注意されたい。こんなところで足をくじいてしまっては、助けも呼べないため、最悪、冗談抜きで死んでしまう恐れがある。
ゴンドラ。
ゴンドラの製造は昭和59年。リフトの開通からしばらくは、ロープウェーは通っていなかったようである。
なんだか寂しげに見えるゴンドラ。
くすんでしまった目が、再び点灯する事はもう無いのである。
廃止されてしまったのは平成10年の台風被害によって、復旧興南となったためだ。 そのためロープウェーの営業期間は15年ほどと短命であった。
従業員室には様々なものが残されていた。ラジカセストーブやかん… 時刻表を見ると1時間に4本もこの駅からゴンドラが出発していたようだ。 各観光地による熾烈な客の奪い合いが行われていた昭和末期の時代に作られたこのロープウェー、残念ながら令和まで残ることはできなかった。
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