平成30年8月19日
新潟県柏崎市にある廃集落。海岸沿いの大通りから側道に入って進んでいくとたどり着く。
側道を進んで離合がギリギリ可能な道が1kmほど進んだ後、道は未舗装となり、採石場が左手に見える。そのあたりで道は急激に細くなる。集落の近くまで車で近づくこともできるが、途中路肩が崩壊しているところもあり、かなり怖いし、路肩崩落は実際に歩いてから知ったことで、前調査では道幅も、何も知らない状態であったため、無理やり先に進んで車ごと立ち往生という状況があり得る。そんなリスクを負いながら車で突き進むほど野蛮ではないので、道幅が広いところに駐車し、3kmほど歩いて集落に向かうことにした。
だいぶ進んだところ。
最後はうねった道を何回か曲がると、家屋群が姿を現す。開村時期は昭和47年とあるが、未だにこれだけしっかりと家屋が建っているということは、平成に入ってからも人の手は加え続けられていたのであろう。
水が流れていた。
解村月と当時の屋号が記された碑が平成9年に建てられていた。
遺留物。昭和47年には解村したとは思えないほど最近のものも確認されるため、石碑の建立時期といい、解村と離村時期には齟齬があったにちがいない。
集落の奥の方には東北電力が管理する現役の構造物があった。
謎の建物。建物へ続く道は見当たらない。
人が完全にここに住まなくなったのはそう古くはないはずだ。ただし、廃村が放つ特有の雰囲気は、ここでも感じられた。ここから隣の居住地までは相当離れている。なぜこの山奥に人が住んでいたのか。歴史を紐解いてみると、面白い発見があるかもしれない。