【東京】昭和初期建築の下谷小学校跡を散策!

令和5年7月22日

昭和3年に建てられた小学校跡が、台東区役所のすぐ近くに建っている。閉校したのは平成2年のこと。すでに32年が経っている。廃校になってから30年余りが経過し、外観は劣化し、蔦にのまれ、いつしか都会にある廃墟として名を知らしめてしまうほどになってしまった。しかし、この度解体されることが決まり、解体前に3日間のみ一般公開がなされたので行ってみることにした。

校舎の裏手側。もはや芸術だ。すぐ近くにはきれいな高層ビルが建っており、この2つの建物のギャップに萌える。この組み合わせも見られなくなる。こういった組み合わせで印象的だったのは、代々木の代々木会館だ。こちらも解体されてしまったが、奥のNTTのビルとの対比が堪らなく好きであった。前時代のものは、悲しくも、徐々に姿を消していく。

大正12年の関東大震災を機に、頑丈に作られた校舎は、築95年ながらも力強く建っている。なんで廃校になったんだ?と思って調べてみたら、生徒数減少で隣の学校に吸収されたらしい。こんな都心で生徒数減少でなんてこと、30年以上前にあったんだ…。東京ってよく分からん・・・。最盛期は1000人以上の生徒が通っていたらしい。

今回の一般公開(見学会)の案内看板。

校庭と校舎。2階の庇から生える木々に萌える。「何言ってんだ?」と思われるかもしれないが、萌えるものは萌える。

校庭全景と校舎と高層ビル。

かっこいい。

エアコンはどうあがいても最近の物っぽいので、廃校になってからも何かしらに使われていたのであろう。

よく見ればナイター設備も整っている。絶対何かに使われていたべ。あるいは、お金持ちの東京なら、小学校にさえナイター設備が整っていたのか?

そんなことは置いといて、このくたびれ具合が好き。柱のデザインもおしゃれ。

内部を見てみよう。重厚な感じはあるが、小学校感は存分にある。

ちなみに、11時から別の予定があり、見学会の開始が10時なので、撮影している余裕はあまりなく、こだわった写真はほとんどないのでご容赦いただきたい。

踊り場。ここに子供たちの声が響くことは永遠にない。

長い廊下を望遠で。天井に張り巡らされたパイプやケーブルの数に驚かされる。

中から除く蔦も美しい。

体育館。・・・なのか・・・?自分が知っている体育館よりも2周りくらい狭かった。全校集会とかどうやってたんだ?気になる。

どんどこ上へ登っていく。

3階の教室から。

やっぱりあの木々に目が行ってしまう。

そして屋上。直線の走路があるあたり、元から立ち入り禁止ではないのだろう。学校というと、屋上はどうしても立入禁止なイメージがあるが、やはり都心は限られた敷地を有効に活用するために、屋上もいい遊び場としていたのかもしれない。

なんだかいい感じの雰囲気。

そしてネット越しに校舎を見下ろす。L字型なので、後者をまじまじと観察できるのが良かった。

少し離れたところに、スカイツリーがビルの間からこんにちはしていた。

もう少しちゃんと見学したかった。だって、見返してごらん?教室の写真、1枚も写真に撮っていないじゃないか・・・!人が入らないようにじっと待って撮る、なんてのを繰り返してたら、とてもじゃないけど11時の予定に間に合わなくなるので、泣く泣く途中での離脱となった。後で確認したら、ツイッターでフォローしている方が何人もここを訪問していたようだ。確かに、来場者の中にはガチカメラを抱えた人が何人か見受けられた。もしかしたらあの時のあの人が、ツイッター上でよく見かける有名なあの人だったのかも…と思うと、胸が熱くなった。それだけ多くの人に興味を持ってもらえたこの校舎も、あと少しで、この世から姿をける。お疲れさまでした。

尚、当該箇所については以下のネットニュースにて取り上げていただいた。

「ゲームの世界みたいだ」“都心の廃墟”とそびえ立つ高層ビル 解体が決定 もう見られなくなる景色が話題|よろず〜ニュース (yorozoonews.jp)

お気軽にフォローください!
>電子書籍販売中!

電子書籍販売中!

一人旅研究会管理人がこれまでに行ってきた日本国内のいい場所を街歩き・秘境駅・温泉の3編に分けて電子書籍にて紹介しています!
また、大学4年、学生最後の夏休みに敢行した日本一周編、ジオラマ制作をまとめたジオラマ編も好評発売中!

〜日本全国ノスタルジック散歩シリーズ〜
・散歩編
・秘境駅編
・日本一周編
・ジオラマ編
・温泉編

CTR IMG