令和元年7月15日
福島県の塙町稲沢と棚倉町の間に、かつては一本の隧道が通っていたという。開通は明治21年にまで遡る。さて、この廃隧道、ネット上に上がっている情報が古いこと古いこと。インターネット聡明期のページもあるほど、昔から廃隧道となっているところで、崩壊が進んでいることから訪問者が少ないようで(そもそも廃隧道に興味がある人数自体が少ないのもあるが)、平成22年ごろの情報の後は平成29年の情報一件のみしかなく、しかも隧道に入る場所について明記しているサイトはいくつかしかなく、地図を見ただけでどこにあるのかが想像しにくい場所であった。今回は北口の棚倉町側から行くことにした。場所を説明するのは難しいので座標を打つが、(36.975704,140.392503)ここから伸びる未舗装路を進んでいくのが一番安全であろう。しかし、車一台通るのがやっとの幅員で、しかもご覧の通り最後は駐車スペースがないので、素直に歩いてくることをお勧めする。さもないと10回くらい切り返しをしたのちに、写真のように車体に傷つくことを恐れず廃道の入口に駐車を余儀無くされる。今回、最後まで車を突っ込んで幸い傷つかずに済んだが、車高をいじらずでさえもこの地面との距離なので、どれほどハンドルを握る手が汗ばんだか想像がつくであろう。完全に放置車両1日目の図だ。この様子をツイートしたら、完全に草ヒロだな、と返答がいくつか来た。ここから先は流石に車は進められないので、歩いていく(ネットの情報によると、平成20年ごろまではこの先も車でいくことができたようだ。現在だと、オフロードバイクであれば進めなくもないが、倒木も多いので結局歩いていくしか術はない。
柔らかい地面を歩いていく。なだらかな上り坂で数100m歩くと隧道までたどり着く。
が、この有様だ、平成29年の写真と明らかに違う。土砂崩れが進行しているようだ。隧道の出入口がどこかさえも分からなくなってしまっている。通行止の看板の先が見えた瞬間、なんだこれwネットにあった最新の写真と全然違うwこの土砂越えるの?ここ入るの?wと大冒険を決意した。
土砂を登っていく。振り返ると、結構な高さを上がっている。上りはまだいいが、下りは怖い。ままさしく行きはヨイヨイ帰りは怖い、だ。
登り切ると小さな穴が。これがかつての隧道の口の最上部だ。
足と一緒に。どれだけ狭くなってしまっているかがお分かりであろう。そしてこの砂、すごくサラサラしている。内部に入ろうとするとサンダル(安全靴じゃない時点で反省もの。一応トランクに安全靴は積んでいるが、めんどくさがっていっつも履かないでやってきてしまう)が全然地面を掴んでくれず、大量の砂が隧道内部へと流れ込んでいくのみだ。
足を砂だらけにしながら、滑るように内部へ入る。中は暗いが辛うじて反対側の口から光が漏れている。隧道というか、本来の名称・洞道と呼ぶ方がいいであろうが、洞道としては繋がっているので生きていることは生きている。いや、死んでいるも同然か・・・。
これを見ると、今滑り込んで入ってきた穴は、コンクリートの上にあることが分かる。コンクリートの下は土砂で完全に閉塞しているため、奇跡的なのか人為的なのかは分からないが、今でもこ洞道として「生きている」のは、この小さな出入口があるからである。おそらくこの小さな穴は、現役時代にはなかったであろう。
そして帰還。よーく見てみると、車を停めた左後ろに草ヒロの大先輩の一部、鉄チンがお見えになられていた。