令和3年5月2日
釧路の北部に位置する雄別地区。ここは60年以上前、1万数千人の人口を誇ったが、昭和45年の炭鉱閉山後、人口はみるみると減っていき、今では1人も住んでいない地域になった。人は住まなくなったものの、かつての鉄道や施設・住宅の残骸が残っている。
こちらは町の中心部にあった映画館の跡。木造箇所は焼け落ちてしまい現在はこのコンクリート造の部分のみが残る。
中はこのような感じになっている。すでに伽藍堂なっており、写真に写るここが映画館のどの部分なのか想像することはできない。
さすがは廃炭鉱の町、ヘルメットが3つ等間隔に置かれていた。
脇にはこのような小部屋があった。
その先には、木造の階段があり、かなりの軋み音を伴いながら登っていくと、床が今にも崩れ落ちしまいそうな二階部分がった。壁には、かつての訪問者の落書きが残っているが、現在のこのような床の状況になってしまっては、もう書くことができないだろう。
踊り場から下を見下ろす。
外観側面。なかなかオシャレな作りだ。
先ほどのヘルメットが置かれた場所はこんな感じになっている。受付スペースであったに違いない。
半世紀以上前の人たちは、炭鉱仕事で疲れた休日をここで過ごしていたのだろう。
外を散歩してみよう。ここはただの一本道であるように見えるが、この道沿いにはかつては建物が「密集して」並んでいた。現在でも所々に基礎が残っており、ここに建物があったのだと感じさせられる。
中には、 鉄道の駅のホームの跡も見受けられた。
そして、山道の中にはいろいろと連想させられる組み合わせの落し物があった。さすがに人間の骨ではないであろうが、これをいきなり発見しては心臓に悪い。
次に急斜面の丘をよじ登ったと、視界に現れるのは、炭鉱で働いていた職員の住宅だ。先に、離れの便所の写真。
小便器。
男性諸君、どうでしょう?小便している気分になれるでしょう?
現在残っている建物は先程のお手洗いの離れと、こちらのほとんど倒壊してしまった住宅棟だ。木造部分は完全に崩れ落ちてしまい、中に入れるレベルではなくなっている。
しかし、コンクリート造の電話今でも残っている。木造部分とコンクリート造部分の境目が綺麗に判断できる。
今となっては到達難易度最高となった便所。
ここももう、それほど長くはないだろう。閉山してから時が半世紀が流れるという事は、これまでに現世とはかけ離れた世界になってしまうことを意味するのだ。