令和2年12月27日
現在も東関東圏を走る東武線。その中にはかつて東武矢板線が含まれていた。廃線になったのは昭和34年と60年以上前のこと。当時鉄道が敷かれていた面影は今となってはほとんど残っていないが、隧道が残っているということで見に行くことにした。今回の廃隧道は廃線後、しばらくは自動車道路として使われていたのだが、劣化に伴い付替道路が整備され、現在は通行不可になっている。
だんだん日が沈む時間帯。光が綺麗だった。
先ほどの一本道のガードレールの切れ目付近から、獣道を辿っていくと廃隧道が。夏に行けばどこに道があるかわからない状況であるため、散策は植物の枯れた冬をお勧めする。
100mほど進むと、隧道とご対面。少し前の写真だと、トタンが一部のみ剥がれていて、その隙間から侵入する形であったが、現在はトタンが全て剥がれてしまい、完全自由出入り可能な状態になっている。
1年ほど前から行きたい場所であったが、いざ来てみると、隧道の持つ不気味な雰囲気に一瞬ひるんでしまう。
入口からは、隧道の内部がどうなっているがは全然分からない。頭灯と手持ち灯で照らしながら先へ進んでいく。ただ、トタンが全て剥がれたことで、光の差し込む面積が広いため、恐怖感はそれほど大きくはない。
ちなみに剥がれたトタンは入口付近に落ちていた。現在は足の踏み場に転用されている。
先へと進んでいく。先は真っ暗で何も様子がわからない。
今でも愛し続けていますか?
落書きも多数存在する。なんでも心霊スポットとしても知名度があるようだ。
150mほど進んだであろうか。丁寧に閉塞されていた。
壁には最深部までたどり着いた証として、多くの名前が書かれていた。
今年の落書きもあった。コロナに負けるな、楽しく生きよう、と。そうか。こんな暗いところで止まらず、先へ進まないとな。
消化器。
出口一つとっても、いろんな撮り方があるから写真は奥が深い。
落書きはOKらしい。
肝試しに来た者が捨てたのだろう。隧道の最深部には、不思議とゴミがほとんど落ちていなかったので、彼らにも何かしらの申し訳なさがあるのだろう。
人が乗っても割れなかった。
色々妄想させてきて怖かった。
オイル交換器が落ちていた。自動車用道路になっていた頃のものだとは思うが、誰がどうして道端にこれを捨てたのか、到底答えは出そうにない。