令和3年9月5日
かつて芦別炭鉱があった時の住宅跡。造からしてそれほど古くはなく、昭和40年代末期に前の水明荘が全焼したことも考えると、昭和50年あたりに建てられたものであろうか。
しかし、長年の経過と雪による痛みは激しいようで、窓の奥に本来見えないはずの青空が見えてしまっている。
建物の前までは、車ですんなりと来ることができる。
入口は固く閉ざされているが、窓は全てがフリー状態である。
中の様子。
床は朽ちて今にも落ちてしまいそうだ。実際、一回踏み抜いてかなりビビった。
廊下。基本的に抜け落ちており、ありえない角度で傾いた床を歩かねばならない。
便所。ぱっと見渡して女性専用のお手洗いは見つからなかった。炭鉱「夫」という言葉からも、この建物には男性しか住んでいなかったのであろう。
大便器。落ちている板は、かつて扉だったものと思われる。
洗面所。
浴場。床がなんと木製であった。そろそろ全体が抜け落ちそうな脆さであった。
なぜか冷蔵庫だけが取り残された部屋。厨房のような部屋もあり、そこには家電がいくつも残されていた。、
2階へ上がる。愛車が待ってくれている。
踊り場には植物が。
2階はかなり植物の侵略を許していた。
この部屋なんか、もはや芸術で、天井から採光してるし緑はいい感じに入り込んでるしで最高。
この空間もたまらない。
机の上に置かれた大量の週刊雑誌。発行年を見てみると、平成10年。人が住まなくなったのは何年のことかは知らないが、平成10年だ、と言われるとなるほど、と納得できる荒廃ぶりであった。冬は雪で埋もれるこの廃墟、アクセスのしやすさの割には荒らされた形跡はほとんどないので、なかなかいい廃墟である。