令和元年9月1日
栃木県鹿沼市の山奥に廃小学校がある。石裂(おざく)小学校だ。「おざく」とは難読だし、もちろん予測変換には出てこない。一本道でこの先は林道となるが、ここまではバスが来ているらしく、ちょうど小学校の元校庭がバスの展開場となっているようだ。このバス停を目指していけばアプローチは容易だ。ここへ向かう道も細いが離合可能なので怖い点はない。
これが後者だ。木造で築100年を超えている。小柄な建物だが、かつては近くに職員用の小屋が建っていたらしい。平成26年ごろに倒壊とのことだ。
愛車と一緒に。
入口にはストーブが。入り口に扉はなくウェルカムカモーンな状態。
廃校は昭和39年、東京五輪の年だ。その割にはまだ床が完全に落ちているわけではないので、廃校後も何かしらとして使われていたのだろう。ちなみに校庭の脇には僻地診療所がある。もしかしたら、そういった役割を果たしていたことも考えられる。
黒板。残留物はこの部屋にはほとんどない。3つの部屋があり、真ん中の部屋に本が散乱し、両端の部屋にはほとんど何も残されていない。床が抜け落ちているのはこの部屋と、廊下のみで、その他の2つの部屋はかろうじて持ちこたえている。
今回から全天球カメラを導入した。ホームページ上ではぐるぐるさせられないのが残念だが、なかなかすごい。360度全てがこの写真に写っているのだ。左が廊下で、ここを歩くと、校舎全体が揺れ動くのがわかり、倒壊するんじゃないかと怖がってしまう。
なぜか両端の部屋には一つずつ椅子が。廃墟×椅子一つという場面に何回も出くわすが、誰かが意図して配置しているのだろうか?それとも・・・?
廊下。ご覧の有様。
そして真ん中の部屋。本が床ぎっしり。
古い学児童向けの本がたくさんある。
中には昭和22年の学習指導要領も。持ち帰りたくなってしまう。
流しは新しめか?不法投棄物か、はたまた廃校後に利用されていたものか。
もう一つの意味ありげな椅子。
校舎の裏手は細い道が通っていて、これまた廃墟のような雰囲気を漂わす現役の神社につながる。
外から先ほどの椅子を撮る。とうとう学児童用の椅子は一個も見つからなかった。