【東京】東京の山奥廃墟、奥多摩寮跡を散策

平成31年1月10日

東京都の最西端は自然に囲まれている。その中に、ひっそりと、朽ちゆくのを待つ廃墟がある・・・。

表札。昭和62年頃に人がいなくなったと思われる。それにしてはやけに綺麗な気がする。

廃墟サイトではよく奥多摩寮として取り上げられるが、実際には3棟あり、寮生が住む棟と寮母とその家族が住む棟に別れていたようだ。駐車お断りの札もやけに新しい気がする、

以前は奥多摩寮の入り口の門は閉ざされていたので、隣の棟の入口から入り、敷地内の屋外通路から寮棟に入らなければならなかったのだが、この日行った時は門が開いていた。扉から入った場所。この棟以外は遺留物はほとんど残されていない。

置かれていた謎の機械。

左に進むと台所。

カレンダーには1987の文字が。32年が経とうとしているが、茶棚に置かれた食器は全て綺麗にしまわれたままであるし、荒らしに入られた痕跡は見当たらない。

古いパッケージのボンド。

すっかり錆びついてしまった物達。

流石にこのお皿を使ってご飯を食べたいとは思えない。

奥にはお風呂場。この辺は光が届かずストロボが必須となる。

台所を出て左に進むと部屋がある。かなり生活感の残っている部屋だ。かつて住まわれていた人達のアルバムや、寮生が読んでいたであろう雑誌、ゲームなどが置いてある。

テレビと黒電話。

部屋に残された新聞紙。

後を振り向くといくつもの部屋があることが分かる。

奥へ続く廊下。因みに建物は木造で、床板はかなりへばってきている印象。踏み抜くことはないが、慎重に歩くことが必要とされる。

ただし、廊下の右手、つまり多摩川側はこのように完全に崩落してしまっており、雨風が建物内に入ってくる状態になっている。もし、貴方がこの文章を読んでいるのがこのページの設置から数年以上経過しているならば、踏み抜いて大怪我する恐れがあるので最大限の注意をされたい。

恐る恐る廊下を進んだ先には便所があった。こちらは廊下よりもさらに崖側なので、万が一のことを考えて個室を覗くことはよしておいた。

廊下から、一階下に降りられる階段がある。降りた先は真っ暗で降りるのがためらわれたし、ここで、表札が綺麗という以外の2つ目の謎を発見する。ここに吊るされたカレンダーは1985年の物なのだ。台所とは5mも離れていないのになぜ2年も違うのだろう。ただ単に変えるのが煩わしかっただけなのだろうか・・・?

降りた先は、先程の完全に崩落した場所に繋がっているようであった。

崩落してむき出しになった日当たりのいい縁側には、椅子と机が置かれていた。建物の傾きと床の歪みが半端ではなかったので、これより先には進んでいない。

むき出しになったところから見えた部屋。

建物外観。全てが崩れ去るのは時間の問題だろう。しかし、中はまだ綺麗に多くのものが残されている。一時期何者かが住処に使い、布団がこの世のものとは思えないほど黒ずんではいたが。

残されたサンダル。

他の棟にも入ってみよう。綺麗に何も残されていない。

縁側。こちらの建物も、だいぶ朽ちってきている。

壁はむき出しになり、建てた頃の新聞紙だろうか。旧字体の新聞が。

窓は大正浪漫感じるデザイン。

縁側が橋のようにカーブを描いている。美しい。

奥多摩は高校2年の春休みからの6年間で4回きている。行く度に「次回はここに行ってみよう」と思える場所に出会う。今回もこの廃墟を訪れるまでにもう一軒、行ってみたいと思える廃墟を発見することができた。それに加えて、白沢集落と高畑集落にはまだ足を運べていないので、次奥多摩に行けるのはいつになるか分からないが、またきっといつか、行こうと思う。

そして奥多摩寮を出た後、深く考えたくはない新たな謎に遭遇した。平成21年製の新しい電気メーターが設置されていたのである。期限は平成31年12月。つまりは期限内だ。とっくのとうに壊され、中に人が侵入し放題なはずである。なぜ・・・。メーターはわずかであるが、0以外の数値を指していた・・・。

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