【静岡】飯田線の秘境駅、小和田駅を散歩!

平成28年9月1日

日本三大秘境駅のひとつである小和田駅。他には小幌駅と尾盛駅があるが、散歩のしがいとしてはこの駅が一番楽しかった。昭和31年に周辺の集落がダムの底に沈み、ここだけが取り残される形となって早60年。飯田線に乗ってこの駅まで来たが、車内には立つ人もいるほど混雑しており、小和田駅に近づくと何人もが物珍しそうに窓の外を眺めていたので自分以外にも沢山の人が降りるかと身構えたが、結果は自分のみの降車となった。

駅前道路。下り坂になっている。駅前にある唯一の道である。

坂を下ると突き当たりに「愛」と背もたれに大きく書かれた椅子があった。平成5年に小和田駅にもブームが訪れ、結婚式が行われるほどであった。その日は1000人もの人がこの駅に殺到したらしい。今は静寂に包まれており、当時結婚式が行われたという気配は全く感じられない。ナショナル電球の看板が良い味を出している。

小和田駅前には周辺を散策した限り、2、3の廃墟が存在する。一つ目は製茶工場跡だ。いつまで稼働していたのであろうか。調べてみても詳しくは分からなかった。が、建物の造りや機械から判断するに、周辺がダムに沈んだ昭和30年代前半迄なのではないか。一説には昭和50年代初期までは使われていたらしい。

廃墟以外にも小和田駅周辺には見所が沢山ある。これは三輪オートである。前々からこれがあると知っていたので、見つけて嬉しくなりセルフタイマーをかけて一緒に写真を撮ってしまった。

駅前道路を下ると丁字路っぽくなっており、左に行くと神社、右に行くと他集落に続く。先ずは右の道を進む。5分くらい歩いたところで、画像のように道が左右に分かれていた。右は人の住んでいる民家が一件あり、塩沢集落へと続いている。左はこの先に高瀬橋があるのだが崩落してしまっているらしい。

左の道をどんどこ進んでいった。途中倒木や獣道が消えかかっていて進みにくい箇所もあった。道は行き止まりになっていたが、ふと左を見ると大きな橋があった。完全に朽ちってしまってコンクリート部分とケーブルしか残っておらず、草木が邪魔して対岸の様子は伺えなかった。

駅前に戻り2軒目の廃墟探索を行う。こちらは製茶工場と関係のある民家であり、その後結婚式はここで挙げられた。

かつては人が住んでいた様子が伺える。山の斜面に沿って建てられたため面白い形をしている。中へ入ると、一階は製茶に関係のありそうな機械が置いてあった。狭くて急な石段の階段を登ると居住階に到達し、風呂場や台所が確認された。奥には式が挙げられた部屋があり、近くにはそれに関連した資料が山積されていた。

一度駅ノートを書くため駅に戻った。右の写真中央が小和田駅駅舎。駅ノートには昔描かれたノートの複写版が置いてあり、昭和53年のものもあった。時はそれから何十年も経ってしまっているが、当時も今と同じような空間であっただろう。30年も40年も前の、今の自分と似たような趣味を持つ人がここに来てどんなことを思っていたのだろうと考えると、ワクワクが止まらなかった。

駅前の丁字路を今度は左に進むと、製茶工場の裏手が見える。この付近は川が近く、大きな石が置いてあるだけなので進みにくい。この先を進むと小和田神社がある。

右側に川が流れているので川岸まで降りてみた。秘境駅から歩いて見るこの景色は、自分の持っている悩みをちっぽけに思わせるほどであった。

神社へと続く道には今は見られないプルタブ式の空き缶が沢山落ちていた。平成に入った頃にはプルタブ式はほとんど姿を消していたため、これらは小和田ブームの訪れる前に捨てられたものだろう。しかし、今でも多くの缶が捨てられたままになっているのだが、ブーム時に誰も掃除をしなかったということになる。誰も掃除しようとは思わなかったのか・・・謎である。

先程、「この駅には2、3の廃墟が存在する」と書いたが、曖昧にした理由は神社を「廃墟」として数えて良いものなのか・・・と考えたためである。風の噂によると、10数年前にこの付近で白骨死体が見つかったらしいが詳細は不明である。 賽銭箱は撤去されていたが、多くの小銭が付近に置いてあったため、少しばかりの賽銭を残し、小和田駅を後にした。

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