令和5年4月15日
羽幌炭鉱は3坑あり、羽幌本坑、築別坑、上羽幌坑と呼ばれていた。ここ上羽幌坑はほかの2つと比べると、炭鉱めぐりとしては見学スポットに欠けるものの、少しだけ、炭鉱街の名残を感じられた。こちらは坑口近くにあった廃工場。
晩年は資材置き場として使われていたのだろうか。
謎に一つだけ置かれた椅子。
換気扇。
換気扇の隙間から漏れ出した光。
いったい何の工場だったのだろう。
残留物からは、用途を見出すことはできなかった。
近くには、コンクリート製の2階建ての建屋が。
少し行ったところに、炭鉱住宅がある。道道741号線沿いに、10頭近くもの伽藍堂となった住居が並ぶ。
かなり異様な雰囲気だ。
閉山は昭和45年なので、令和5年の訪問当時ですでに半世紀以上が経過している。この家も、相当期間無人となっているのであろう。ほとんどの部屋の屋根が崩落していた。
冷蔵庫、こんな破壊のされ方、腐り方があるのか・・・。
冷蔵庫も草生やすんだ・・・。
屋根が残っていた数少ない部屋。屋根があるだけで、朽ち果てるスピードはかなり軽減される。
昔懐かしいテレビ。平成7年生まれだが、通っていた中学校のテレビが全教室こんなだった。昭和47年生だったのを覚えている。
この建物も、いずれは建物の形すらとどめず、がれきの山となり、ここに人が住んでいたことすら忘れられる日も、そう遠くはないのかもしれない。
愛車と。