【長崎】廃墟と猫の島、池島を散歩!

平成29年2月13日

炭鉱廃墟の島といえば長崎県の軍艦島が有名であるが、こちらはもう一つの炭鉱廃墟の島である。同じ長崎県内にある。長崎市内から北上し、神浦港から池島港へ船で向かった。軍艦島の建物は倒壊の危険がある為、自由に散歩する事が出来ないが、この島はほぼ自由に歩き回る事ができ、穴場スポットとなっている。

港を出て少し歩くと、住居街が見られる。こちらの建物も劣化が進んでいるように見えるが、今でもこの建物には人が住んでいる。・・・と言っても150名程度であるが。

建物のそばにはバイクが無残な姿になって置かれており、近くには錆びついた柵が地面に落ちていた。本当にこの建物に人が住んでいるのかと疑いたくもなる。

ここは港ショッピングセンターという現役のお店の外側。なるほど、使えなくなってもそのままにしてあるのか。

そばに置いてある自動販売機は売切の文字が目立った。

今人が住んでいるのは港の近くに集中している。なぜなら、この付近以外は高い場所にあり、坂を上らなければならない為だ。一本、長い坂道が伸びており、そこを進んでいくと、かつて使われていたであろう工場がそのままに放置されていた。

画像の奥が炭鉱のある方である。

これが、その上り坂である。

坂を登っている途中に右手に住宅街が姿を表す。島にある建物は大体がRC造りの集合住宅であり、このような日本家屋はこの一帯にしか存在しない。

スナック。

ここにある建物すべて、今は人が住んで居ないようであった。住宅街も斜面に沿って建っている。こちらも、下側の方には住民の住んでいる家が点在しているが、坂を登った方にはどの家にも人は住んで居なかった。

坂を登りきると、幾つかの施設以外はすべて廃墟という、今回の目玉地域に突入する。

登った先には、見つけた限りだと、郵便局、公民館、会館、飲食店1店、診療所、小中学校、銭湯、神社のみ今も動いている様だ。島内の歩ける場所はすべて歩いたので、抜け、漏れさえなければこれで全てである。画像は廃アパート。

かつての商店街であろうか。

島内には一箇所だけ宿泊可能な場所がある。それは池島中央会館である。まずは荷物を部屋に入れた。会館廊下。

部屋。

会館外観。

手ぶらになったところで自由に島内を散歩した。日没まではまだ2時間ある。島全体はそれほど大きくはないので、ゆっくり出来る時間があれば、全体を万遍なく練り歩ける。この信号は島内唯一の信号機。右側に小学校中学校合同の大きな校舎がある。信号機がここだけにある理由は・・・島民の方数名と話したが、この質問をするのを忘れてしまい結果は分からず終いだ。しかし、子供の安全の為にあるのだろう。夜まで何回かここを通ったり、眺めたりしていたが、とうとうこの歩行者信号が青になっている姿を見ることは出来なかった。押しボタン式であるのだが、ここを通る車は皆無で(この先は小中学校と神社の駐車場くらいしかない、他は全て廃墟)車道をスルッと渡って行った方が楽だからである。しかも、現在島内には小学生が2名しかおらず、中学校の廃校が決まっている為、今の小学生が中学生になったら、島外の中学校に進学するしかないという。つまり、この信号機の必要性はもはや皆無なのである・・・。

信号機付近の坂を登ると、廃アパート群がある。何棟も建っているが、あまり荒廃しておらず、この程度ならあまり興奮はしない。自宅の近くにあった団地群に似ている為だ。しかし、つい数ヶ月前に取り壊されてしまった。今後、10年も経った頃には自分にとって懐かしさを感じるスポットになっているかもしれない。懐かしさを感じられないほどに荒廃が進んでいるかもしれないが。

おお、あったあった。なかなかな建物。この建物は蔦に若干飲まれ始めている。

当然建物内に入ることは出来ない。島内の会社に管理されている様だ。人を寄せ付けなたくないのであるか、樹々が入口を邪魔していた。

島内には画像右上の様に、パイプが道沿いに張り巡らされていた。これは、火力発電で生じた蒸気を送っているらしい。なんのためどこに送っているかまでは聞き損ねた。水道は、8キロ先の長崎市内から海底を通って供給されているらしい。仰天だ。電気は、昔は島内で発電をしていたらしいが、今は外部から引っ張ってきている。ガスは勿論プロパンガス。

蔦。

おお、こちらの建物は立教大学か?いや、違った。長崎に立教大学は存在しない。う〜ん、良い雰囲気だ。

島内最西端部には慰霊碑と展望台が設置されていた。

展望台からの眺望。廃墟はここからはあまり見られなかった。景色の殆どが海である。

池島で有名な8階建アパート。表側の入口は1階なのだが、裏側の入口から見ると5階に相当し、エレベーターのない建物であるが、なんとかなっていたのである。

裏側の入り口。最上階に建物と建物を結ぶ鉄橋が架かっているが崩落までは時間の問題だろう。

「ご苦労さん」の文字。炭鉱に働いている人への看板。昭和34年から池島の開発が進んだ。島内に立っている建物はそれ以降に建てられた建物であるから、特別古い訳ではない。せいぜい50年程度。そうすると、100年前に建てられた日本初の高層アパートの擁する軍艦島よりは随分と新しいはずである。しかし、人間が一度抜け出せば、建物はものすごい速度で荒廃していく。15年前までここには確かに人が住んでいた。しかし、軍艦島のように(さすがに向こうは瓦礫の塊に近づいてしまっているが)廃墟の雰囲気を十二分に味わえるのだ。

8階建アパート前面。

そこから北側を見下ろす。

壮観。

小中学校裏手には神社がある。こちらは手入れが現在も行われていて、訪問した時もまさに修繕の最中であった。

神社に続く道から右にそれた道を登ると、池島内で一番高い場所にたどり着ける。上った先には水道タンクが設置されている。猪用の仕掛けが置かれていた。

小中学校の校舎。現在はこれほどまでに大きな校舎で2人しか在籍していない。

中学校の体育館裏手から。ここから見ると、大都会に見える。実際に、閉山する平成13年には3000人、最盛期には8000人もの人が島内に住んでいたというので驚きである。建物は壊さないらしい。というよりも壊さないほうが良いのである。現在、会社の私有地の中に建物があるが、壊してしまうよりも、固定資産税として払い続けているほうが安上がりだからである。確か似壊すだけでも巨額な費用がかかってしまう。家一軒壊すにもかなりの費用が生じ、それが億劫で全国に廃屋が増えているのもうなずける。廃墟マニアにとっては嬉しいことである(国にとってどうであるかは別として)。そのため、壊す予定は今の所ないという。

中学校のグラウンド。夜間照明機、ベンチ、観客席までも揃っている。恵まれている環境であったことが伺える。

島内には猫がたくさん生息している。場所は、簡易郵便局の裏手と、島内唯一の飲食店「かあちゃんの店」付近である。非常に人懐っこく、向こうから歩み寄ってくる。3枚目の画像の真ん中のベージュの猫が一番可愛かったのだが、残念ながら正面の写真を撮ることが出来なかった。

猫+廃墟。需要のありそうな組合せ。

そして廃墟。

夕飯は母ちゃんの店で頂いた。島民の方がいらっしゃって、池島について沢山のお話を聞かさせて頂いた。

勿論、お店の周りにも蔦の生えた建物が林立している。

夜が近づいてきた。

会館でお借りした懐中電灯を持って、夜の散歩をしてみた。雰囲気が一段と上がる。

一散歩終えた後、町内の100円で入れる銭湯にお邪魔した。ああ〜いい湯ですね〜

風呂から出た後も散歩した。ここまで暗くなってくると、ホラーにしか見えなくなってくる。ふと、空を見上げた。満天の星空だった。街灯は周りにない。完全に真っ暗な状態である。山に登らなくとも最高の星空を見られた。良い意味で、空が天井だと思えた。人も居ないし寝転がった。廃墟+星空。新境地に達した気がした。(写真は、携帯電話しか持っていないため、星空を写すことが出来ていない。こういう機会がある度に、カメラが欲しい、と思うのだが、お金が・・・(この後、平成29年12月にミラーレス一眼を購入し、星空を撮れるようになった。やったね!)

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