【長崎】廃墟と猫の島、池島を散歩!

平成29年2月13日、再訪:令和5年11月23日

 

炭鉱廃墟の島といえば長崎県の軍艦島が有名であるが、こちらはもう一つの炭鉱廃墟の島である。同じ長崎県内にある。長崎市内から北上し、神浦港から池島港へ船で向かった。軍艦島の建物は倒壊の危険がある為、自由に散歩する事が出来ないが、この島はほぼ自由に歩き回る事ができ、穴場スポットとなっている。

 

港を出て少し歩くと、住居街が見られる。こちらの建物も劣化が進んでいるように見えるが、今でもこの建物には人が住んでいる。・・・と言っても150名程度であるが。

 

建物のそばにはバイクが無残な姿になって置かれており、近くには錆びついた柵が地面に落ちていた。本当にこの建物に人が住んでいるのかと疑いたくもなる。

 

ここは港ショッピングセンターという現役のお店の外側。なるほど、使えなくなってもそのままにしてあるのか。

 

そばに置いてある自動販売機は売切の文字が目立った。

今人が住んでいるのは港の近くに集中している。なぜなら、この付近以外は高い場所にあり、坂を上らなければならない為だ。一本、長い坂道が伸びており、そこを進んでいくと、かつて使われていたであろう工場がそのままに放置されていた。

画像の奥が炭鉱のある方である。

 

これが、その上り坂である。

 

坂を登っている途中に右手に住宅街が姿を表す。島にある建物は大体がRC造りの集合住宅であり、このような日本家屋はこの一帯にしか存在しない。

 

スナック。

 

ここにある建物すべて、今は人が住んで居ないようであった。住宅街も斜面に沿って建っている。こちらも、下側の方には住民の住んでいる家が点在しているが、坂を登った方にはどの家にも人は住んで居なかった。

 

坂を登りきると、幾つかの施設以外はすべて廃墟という、今回の目玉地域に突入する。

 

登った先には、見つけた限りだと、郵便局、公民館、会館、飲食店1店、診療所、小中学校、銭湯、神社のみ今も動いている様だ。島内の歩ける場所はすべて歩いたので、抜け、漏れさえなければこれで全てである。画像は廃アパート。

 

かつての商店街であろうか。

 

島内には一箇所だけ宿泊可能な場所がある。それは池島中央会館である。まずは荷物を部屋に入れた。会館廊下。

 

部屋。

 

会館外観。

 

手ぶらになったところで自由に島内を散歩した。日没まではまだ2時間ある。島全体はそれほど大きくはないので、ゆっくり出来る時間があれば、全体を万遍なく練り歩ける。この信号は島内唯一の信号機。右側に小学校中学校合同の大きな校舎がある。信号機がここだけにある理由は・・・島民の方数名と話したが、この質問をするのを忘れてしまい結果は分からず終いだ。しかし、子供の安全の為にあるのだろう。夜まで何回かここを通ったり、眺めたりしていたが、とうとうこの歩行者信号が青になっている姿を見ることは出来なかった。押しボタン式であるのだが、ここを通る車は皆無で(この先は小中学校と神社の駐車場くらいしかない、他は全て廃墟)車道をスルッと渡って行った方が楽だからである。しかも、現在島内には小学生が2名しかおらず、中学校の廃校が決まっている為、今の小学生が中学生になったら、島外の中学校に進学するしかないという。つまり、この信号機の必要性はもはや皆無なのである・・・。→令和5年度現在、中学校も存続しており、小中学生合せて3人がいるとのこと。

 

信号機付近の坂を登ると、廃アパート群がある。何棟も建っているが、あまり荒廃しておらず、この程度ならあまり興奮はしない。自宅の近くにあった団地群に似ている為だ。しかし、つい数ヶ月前に取り壊されてしまった。今後、10年も経った頃には自分にとって懐かしさを感じるスポットになっているかもしれない。懐かしさを感じられないほどに荒廃が進んでいるかもしれないが。

 

おお、あったあった。なかなかな建物。この建物は蔦に若干飲まれ始めている。

 

当然建物内に入ることは出来ない。島内の会社に管理されている様だ。人を寄せ付けなたくないのであるか、樹々が入口を邪魔していた。

 

島内には画像右上の様に、パイプが道沿いに張り巡らされていた。これは、火力発電で生じた蒸気を送っているらしい。なんのためどこに送っているかまでは聞き損ねた。水道は、8キロ先の長崎市内から海底を通って供給されているらしい。仰天だ。電気は、昔は島内で発電をしていたらしいが、今は外部から引っ張ってきている。ガスは勿論プロパンガス。

 

蔦。

 

 

おお、こちらの建物は立教大学か?いや、違った。長崎に立教大学は存在しない。う〜ん、良い雰囲気だ。

 

島内最西端部には慰霊碑と展望台が設置されていた。

 

展望台からの眺望。廃墟はここからはあまり見られなかった。景色の殆どが海である。

 

池島で有名な8階建アパート。表側の入口は1階なのだが、裏側の入口から見ると5階に相当し、エレベーターのない建物であるが、なんとかなっていたのである。

 

裏側の入り口。最上階に建物と建物を結ぶ鉄橋が架かっているが崩落までは時間の問題だろう。

「ご苦労さん」の文字。炭鉱に働いている人への看板。昭和34年から池島の開発が進んだ。島内に立っている建物はそれ以降に建てられた建物であるから、特別古い訳ではない。せいぜい50年程度。そうすると、100年前に建てられた日本初の高層アパートの擁する軍艦島よりは随分と新しいはずである。しかし、人間が一度抜け出せば、建物はものすごい速度で荒廃していく。15年前までここには確かに人が住んでいた。しかし、軍艦島のように(さすがに向こうは瓦礫の塊に近づいてしまっているが)廃墟の雰囲気を十二分に味わえるのだ。

 

8階建アパート前面。

 

そこから北側を見下ろす。

壮観。

小中学校裏手には神社がある。こちらは手入れが現在も行われていて、訪問した時もまさに修繕の最中であった。

神社に続く道から右にそれた道を登ると、池島内で一番高い場所にたどり着ける。上った先には水道タンクが設置されている。猪用の仕掛けが置かれていた。

 

小中学校の校舎。現在はこれほどまでに大きな校舎で2人しか在籍していない。

 

中学校の体育館裏手から。ここから見ると、大都会に見える。実際に、閉山する平成13年には3000人、最盛期には8000人もの人が島内に住んでいたというので驚きである。建物は壊さないらしい。というよりも壊さないほうが良いのである。現在、会社の私有地の中に建物があるが、壊してしまうよりも、固定資産税として払い続けているほうが安上がりだからである。確か似壊すだけでも巨額な費用がかかってしまう。家一軒壊すにもかなりの費用が生じ、それが億劫で全国に廃屋が増えているのもうなずける。廃墟マニアにとっては嬉しいことである(国にとってどうであるかは別として)。そのため、壊す予定は今の所ないという。

 

中学校のグラウンド。夜間照明機、ベンチ、観客席までも揃っている。恵まれている環境であったことが伺える。

 

島内には猫がたくさん生息している。場所は、簡易郵便局の裏手と、島内唯一の飲食店「かあちゃんの店」付近である。非常に人懐っこく、向こうから歩み寄ってくる。3枚目の画像の真ん中のベージュの猫が一番可愛かったのだが、残念ながら正面の写真を撮ることが出来なかった。

 

猫+廃墟。需要のありそうな組合せ。

 

そして廃墟。

 

夕飯は母ちゃんの店で頂いた。島民の方がいらっしゃって、池島について沢山のお話を聞かさせて頂いた。

 

勿論、お店の周りにも蔦の生えた建物が林立している。

 

夜が近づいてきた。

 

会館でお借りした懐中電灯を持って、夜の散歩をしてみた。雰囲気が一段と上がる。

 

一散歩終えた後、町内の100円で入れる銭湯(池島東浴場)にお邪魔した。ああ〜いい湯ですね〜

風呂から出た後も散歩した。ここまで暗くなってくると、ホラーにしか見えなくなってくる。ふと、空を見上げた。満天の星だった。街灯は周りにない。完全に真っ暗な状態である。山に登らなくとも最高の星空を見られた。良い意味で、空が天井だと思えた。人も居ないし寝転がった。廃墟+星空。新境地に達した気がした。(写真は、携帯電話しか持っていないため、星空を写すことが出来ていない。こういう機会がある度に、カメラが欲しい、と思うのだが、お金が・・・(この後、平成29年12月にミラーレス一眼を購入し、星空を撮れるようになった。やったね!)


~ここから再訪~

実に6年半ぶりの池島の訪問。母ちゃんの店が今年の頭に営業をやめ、島内でご飯が食べられなくなった。食料を持って船へと向かう。今回の訪問は朝7時から13時まで。まだ開け切らぬ空の下、出発。

船内。15分ほどの乗船。船はだいぶ揺れた。手すりを持っていないと立っている事も出来ないレベルだ。自分は船酔いしやすいので座ってじっとしていた。15分だったから良かったが、30分だったら多分死んでた。

到着。酔わなかった事への安心感が強い。

空がいい色していた。いい1日の始まりを想起させる。

朝焼け。

アパートの窓から猫が覗いていた。

今回訪問したのは、前回訪問時はカメラが無くて悔しい思いをしたので、それを果たすためである。ちゃんと記録に留めておきたいのだ。そして、餌やり場にもなっていた母ちゃんの店近くにいた猫たちがどうしているのかを見るためだ。

廃アパート群がある地区へは、海辺の登り道を歩く必要がある。

見えてきた鉱山施設跡。

めっちゃ良い色している。郷愁をも感じる。

途中に一つだけあるアパート。住んでいる方がおり、畑作業をしていた。

上側はほぼ無人地域になっている住宅街。

古いパチンコ台が置かれていた。娯楽施設だったのかな?脇には多くの猫達。あぁ、この島にはまだ、猫がたくさん住んでる和田、とホッとした。

うようよいた。

良い写真が撮れた。

スナック跡。

住宅街。ひと気は無い。

荒廃感が漂う。

寂寥感に襲われる。建物の傷みは着実に進んでいる。四半世紀後、この島はどうなってしまっているのか…。

上へ進んでいく。

因みに鉱山施設跡敷地内は立入禁止。

海辺に沢山の猫。餌待ちかな?

人間が気になるようだ。

島民の数は減少中であるが、お祭りが開催されるらしい。元島民も来るのかしら。

雰囲気が凄い。

この辺りはどのくらいの人が今でも住んでいるのだろう。

坂道を登っていくと、間違いなく誰も住んでいない地帯に入っていく。

倒壊した家もある。

解体工事するより、自然に解体を待つ家が多いのだろう。

そして、アパート群生地区に辿り着いた。

竪坑跡。

郵便局。

人間に対する恐怖心が一切なさそう。

皆楽しそうだ。

公民館。お手洗いを借りた。

ここにも沢山の猫。

島内唯一の信号機は健在。

池島小中学校。以前は校庭に照明があったが取り外されていた。

元母ちゃんの店。外観はそのまま。

ここにも猫、沢山いた。

裏手に餌場があったので、お店は辞めても餌やりはし続けているらしい。

廃アパートと猫。人より猫の方が多い。

停留所。今も走っているのかな?

8階建アパート。

壁面が蔦に覆われている。

上から眺めに行ってみよう。

神社の階段を上り

急坂を登っていく。

そして…

圧巻の眺め!

朝焼けに照らされた廃アパート群。

ここに見えている建物、全部無人。

こんなに大きいマンションも、今やもぬけの殻。

きっとこれ以降も埋まる事のない住居に、悲しみを覚える。

子供がいる限り学校は続く。今は小中学生が3人にまで減少したが、かつては2000人以上の子供たちが島を賑わせていた。

8階には渡り廊下があった。

元から渡るのは怖い高さであっただろうが、今ではもはや、渡ること自体が命懸けの様相であった。

にしても、この大きさは圧巻だ。

振り返るともじゃもじゃアパート。素晴らしい。

ほとんどの孫はいた打ちされており、中の様子をうかがい知ることはできない。

こんなところにも停留所が。椅子の崩壊具合から察するに利用者はとうの昔にいなくなっている。事実、この付近は無人地帯。

なのに時刻表があった。しかも令和5年、今年のものである。調べると、コミュニティバスが党内を走っているのだという。驚きだ。一体この停留所を利用する人はどのくらいいるのだろうか。大変興味深い。

もじゃ部分拡大。

良いっすねぇ(*´▽`*)

8階建てアパートの裏側、5階部分にある出口側から。因みに、柵があってこれ以上前に進むことはできない。

恐らく鉱夫の通勤路であった道。「ご苦労様」の文字。

逆側は、ご安全に、と書かれている。

平成13年に閉山。以後段々と人口は減っていったので、実際にこちらの建物から人一人いなくなってからどのくらいの期間が経っているか不明だが、漂う哀愁が、年月の長さを物語っている。

たまに入れる所もある。もしかしたら人が住んでいるのかもしれない。実際、低層アパートの方には、何名かが住んでいる雰囲気が感じられた。

では、低層アパート地区を歩いてみよう。

向こうに見える雲が良い。

天気が良くてマジで最高。運がいい。

端っこには診療所。

と、猫たち。

写真を撮っているとどこからともなく猫が追いかけてくる。そんな島。

蔦が高揚していた。

良い色!

とても好きな景色。郷愁感じる。

この島で一番好きな通りが、この通りかもしれない。旅愁感じさせてくれる。カーブミラーもまた良い。

おじさんが歩いていた。

スイスから撮りに来た、と日本語が話せる白人男性がいた。イギリスのドキュメンタリーを見てやってきたとのこと。日本が好きで何回も来ているという。手にはニコンのカメラ。こんな極東の国に来てくれるなんて、一国民としてとても嬉しいことだ。

前回訪れたときに入った銭湯。池島東浴場。残念ながら令和4年に閉業した。

こちらは最高にもじゃもじゃしている。堪らない。

向こうにもくもくと立ち上がる雲、入道雲のようだ。時は11月。今年の6月まで住んでいた北海道では、もう雪が降っているころだ。なのに、夏めいた景色を見ている。

何故だ…。もう夏の行方はとっくに見失ったはずなのに、何故今になって夏をほうふつさせる景色が広がっているのだ…。

ずるいぜ池島…。ずるいぜ公住入口停留所…。

可愛すぎるんよ…。

自分。

奥に見えるのは秋らしい雲。

121号棟とカーブミラー。

島の端の方は、高低差がすごい。

1,2世帯は住んでいる気配がした。

海の方へてくてく。

立入禁止。

そちらへ進むのは避けて、海岸へ出た。

マジでいい天気。最高すぎる。

ちょっとお空から池島を眺めてみる。

右が港。自分が経っているのは手前の海岸。右奥に鉱山施設。左の高台側にあるのが団地群。

もじゃもじゃアパート群。

絵みたいだけど、色づき方が実際半端ない。綺麗。

海岸通りを下る。

炭鉱施設がある方へてくてく。

トロッコ。

専用線があった。因みに、ツアーが開催されているので、気にいなる方は参加してみるべし。

やぎ?!

普通に道端にヤギがいるの、面白い。首に縄がついているので、遠くに行ってしまうことはなさそう。

道路上に、やぎ。何を思って過ごしているのだろう。

そして迫りくる猫。

ショッピングセンター。ここでもいろいろ買い物できるのかしら?ちなみに、買い物難民用に移動販売、「とくし丸」の車が、船に乗っかって巡回販売サービスを提供している。

こちらは現在も営業中の銭湯。

夕方以降の営業だそう。

こちらは今でも多くの人が住んでいる地区。約100人が住んでいる。

圧巻。

炭鉱施設と青空と雲。

信号。

小中学校に生徒があふれていた頃はまだしも、今使う人は…ほとんどいないだろう…。交通量はかなり少ないので、わざわざ横断歩道を使う必要が、というのはあるかもしれない。それでも目に明かりをともし、健気に仕事を全うする信号機に可愛さを覚える。

郷愁と猫。

めっちゃ郷愁感じられる。

良すぎる…。

大好きすぎる。

この風景なんてずる過ぎるでしょ。心にぐさぐさ突き刺さってくる。違反だよ。

もう無理。胸から何かがこみ上げてくる。別に悲しくもないのに目が潤んでくる。何かが許される気がしてくる。

これらの写真を超える写真は中々撮れないと思う。この島の背景もあってこそ、というのももちろんあるが、景色的にも本当にいい色していておいしい。

しばし、無言で…。

…。

良ぃ。

船の時間が近づいてきた。港へ向かおう。

ぽつんと郵便ポスト。

この日本的な景色が、あと一体どれだけの時間、続いているのだろうか。永遠に残っていてほしい。それでも空き地が、確実に増えていっている。その姿を見るのは、自分の涙腺では持ちこたえることはできない。

次、また来る時まで。

雪国であれば、一冬で押しつぶされてしまいそうだ。

あぁ、郷愁。

港についた。

猫とも、この島ともお別れだ。

6時間みっちり歩いて、既にふくらはぎが痛くなっていた。それほど大きな島ではないが、見所が大すぎて6時間でも全く退屈しなかった。

船に乗り込む。

またね、池島!因みに帰りは、息の漁船くらいの小さな船とは違い、車も積める大きな船なので船酔いの心配は少ない。

神浦湊についた。遠方に池島が見えた。次、あそこに上陸するのはいつの日になるだろうか。いつか、さらに町歩きが上手になったときに、訪れてみたい。そう願って、九州旅行、次の目的地へと向かった。

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