平成29年11月18日
明治時代に日本初の公害である足尾銅山鉱毒事件が起こり、今もなおそのイメージが拭えていない足尾町。昭和48年の閉山以降、多くの建物が使われなくなってしまった。ここ足尾町に残るたくさんの遺構を見るのが楽しみで仕方がない。
まずは通洞駅や足尾銅山観光から近い、通洞変電所。足尾銅山観光から歩いて3分くらいのところに、昔使われていた施設がいくつも固まっているからおすすめだ。
古河機械金属が管理しているみたいだ。東海道線や宇都宮線の電車によく広告が載っている。「次のうち、実在する企業はどちらでしょう。1、古河気合筋肉。2、古河機械金属」みたいな。
お隣には動力所。この建物が唯一倒壊しており、無残な姿になってしまっている。こちらも企業によって管理されているが、そのままにしておくのだろう。建物として所有しておいた方が、土地として持っていたよりも払う税金が少なくて済むのだから。敷地内には入れないので、あまりいい角度から写真を撮る頃ができなかったのは少し残念。中身をもっとよく見たかった。
上の二つ以外にも、発電所、選鉱所鉄柵等も付近にあるのでここだけでも十分に楽しむことができる。今回は足尾を心ゆくまで歩く時間を設けられたので、次はもう少し北にある、わたらせ渓谷鐵道の終着、間藤駅まで移動する。
上ノ平社宅。5、6軒の建物が並んでいる。自分家の車とツーショット。
昔は文字通り社宅として使われていたようだが、現在は倉庫になっている。
便所。
陶器にデザインが施されている。お洒落だ。
小便器。
社宅群の中央にはススキが広がっている。
中に出入りできる建物はどうやらこの建物だけみたいだ。
中に入ってみた所。廃墟感がプンプンする。古いものがたくさん置かれている。部屋は奥に左右一つずつ分かれている。
右側の部屋に入ろうとするも・・・床が怖い状態だ。恐る恐る奥まで進んでみる。
どうやら浴槽のようだ。窓が大きく、光を最大限取り込める、明るい空間だ。柱には浴槽にタオルを入れないように、と注意の札が。
ちなみに左の部屋は・・・。やはり浴槽だ。どうやら共同風呂だったみたいだ。
さらに町の北側に歩みを進める。現在は間藤駅がわたらせ渓谷鐵道の終着駅であるが、前身のJR足尾線であった昭和末期までは間藤駅から先も、貨物線として線路が延びていた。その線路の一部が未だに残っており、その後を色濃く確認できる場所がある。
ここだ。
警音器と木製電柱。今では道路上にあった線路も撤去され、ただこの警音器のみが、この場所に踏切があったことを伝えてくれる。
この道沿いにはずらりと一階建ての家屋が建ち並んでいるのだが、人気を感じる建物はここだけであり、それ以外は、廃屋か、倉庫として使われているか、それとも息を潜めて暮らしているのか、それだけだった。
一応は社宅の場所を示す看板が立っている。250号線沿いの、上ノ平集落へ向かう一本道の付け根にあるので迷うことはないだろう。
水が湧き出てきているのか、至る所から水がドボドボと流れていた。
700メートル北へ行く。この辺になると、人気は完全になくなる。ここは深沢集落跡。平成23年頃に、付近に建っていた廃墟群は総じて撤去され、更地になってしまった。平成24年の深沢集落のレポートで、更地にはなってしまったが公園だけは唯一残る、との情報を得ていた。それより新しい情報はなかった。ツイッターで「深沢集落」と検索してもほとんどマッチしない。廃墟がなくなってしまった以上、廃墟マニアにとってここは何も価値のない場所になってしまったのかもしれない。今ある最新情報から月日は5年経ってしまっている。公園はまだ残っているのだろうか。分からないのなら自らの足で確認して見るしかない。
背の高い雑草が生えていたので見つけるのに苦労するかと思いきや、案外あっさりと見つかった。5年越しに生存が確認された。どうやらこの道沿いを開発することはもうないだろうし、自然と錆び朽ちていくのを待つだけのようだ。
ここにも便所。
割れた便器
取り外された便器。穴を覗いてみるとここで用を足しても問題はなさそうだ。だが待てど暮らせどバキュームカーがやってくることは一向にないだろう。
この地が栄えていた云十年前、子どもたちがここで遊ぶ姿を容易に想像できた。
キリッとした寒さだが、雨とは無縁の日で助かった。雨なんて降ってもらったらこの辺の道は歩きにくくて仕方がなくなってしまう。
最後は深沢集落から西に500メートルにある本山地区。本山動力所や本山鉱山神社が未だに残る。
三本の電柱。四方に電線を伸ばす姿がかっこいい。
本山に入る前にある古河橋。現在は通行止になっている。足尾銅山唯一の重要文化財。これ以外にもこれからいろんなものが重要文化財に指定されているそうだ。
坑道入り口。近寄れなかったのでこの位置から。
本山鉱山神社入口。この鳥居の奥にはたくさんの家屋が並ぶ、大きな集落であったらしいが全て取り壊されてしまった。45年前の写真と見比べてみると、本当にここにそんなたくさんの家屋が並んでいたのか不思議になってしまう。不思議なものだ。今はただの荒れ地に見えてしまうこの地でも、ちょっと前は街の息吹を、人の暖かさを感じられる空間であったのだから。
参道(山道?)沿に幾つかの、かつてを偲ばせるものがあった。
上ノ平社宅に続いて公衆浴場跡。先ほどとは違って、浴槽と一部の壁のみを残してそれ以外は全てなくなっている。蛇口など、それらしきものは見当たるが、それ以外には何にも・・・。タイルの色から察するに、女風呂の方が大きかったようだ。さて、神社へ向かおうとするのだが、まっすぐ先穂の道を進んでも行き止まりになってしまう。どうしたものか。窪地を挟んで向こう側に平地が広がっているため、そちらに進めばいいのだろうが、橋はかかっていない。崖を下って登るか、何かを運ぶ細い管を伝えばいけるだろうが、少し危険そうなので止しておいた。どうやら、橋は架かっていたようだが平成15年位には腐敗が進み、平成20年頃には崩れ、跡形もなく消えてしまったようだ。残念。
兎にも角にも、ここ足尾町、小さいながらも見所がギュッとまとまっているので散策していて楽しくてしようがない。いろんな廃墟を見られるという点で、他の地域と一線を画す。興味ある方は、是非とも行ってもらいたい。全てが無くなる前に。
ここから峠を越え日光へ抜ける。峠の途中で撮った写真。ちょうど夕暮れ時で綺麗だった。