平成30年8月21日
湯原温泉街自体は観光客が多く、露天風呂番付けで西の横綱と呼ばれる砂湯があるほどなのだが、少し端の方に行くと廃旅館や、今回訪問するロープウェイの遺構が残っていたりする。
こちらは温泉街から外れた廃ホテル。公共の建物のすぐ裏手にあるのでなかなか目立つ。
ロープウェイ跡の入口までは藪を数m進んで開けたところまででなければならない。ただ、その藪というのが人目につきやすい場所であるから、ささっと藪の中に姿をくらました方がその後の身のためだろう。
入口まで続く坂道は100mほどある。道はなんとなく夏でも判別可能なほどには残っている。ここまでくると完全に温泉街や人気は感じなくなる。そして入口に到着。周りの木々は人間よりも背丈は高いものの、細い樹木なので光は差し込んでいる。怖がりの当方一人での散策ではあるが、意を決して中にGO。
建物は3階建てで一階はだだっ広い空間、2階が受付、3階がロープウェイ乗り場になっている。山頂側にも同様な建物が残っているらしいが、急斜面&2、3mの雑草の中を変な虫と変な汁を体にまとわりつけながら進まなければいけないので行くのは止しておいた。山麓側の建物もそれほど損傷しておらず、落書きも見当たらなかったため、穴場といえば穴場なのかもしれない。人工的に壊されたり手が加えられた場所は幻滅してしまうが、ここはそんなことはほとんどない。
便所。この辺りは薄暗く、懐中電灯とストロボを使って散策・撮影。正直怖い、嫌い、帰りたい。しかし恐怖心よりも好奇心が勝り歩みは進む。
一番暗いのは1階の横の部屋と1〜2階の階段の踊り場か。
2階。左奥に受付が見える。手前側は物品販売ソーンと推測。
定番の森永アイスクリーム。
ここから出てくる正規の客はもう誰一人としていない。
券売場。往復800円。
係員が使っていた物品達。運賃は昭和55年11月1日改訂、昭和50年開業、56年閉業。かなり短い期間しか営業を続けていなかった点は奥多摩ロープウェイと共通点か。あちらは生活道としての機能もあったらしいがこちらは完全に観光用のロープウェイであった。もちろん見境なくここにロープウェイを建設したわけではない。山頂に遊園地が建設される計画があったのだ。結局は夢の中に消えてしまった。当時世界一の大きさのゴンドラを有した熱海の玄岳ロープウェイも放漫経営が災いして3年で休止など、この時期は観光の流行りにあやかってロープウェイの建設に踏み切ったものの好調は続かず撤退という例が目立っていた。それだけ高度成長期には皆夢を見ていたということか。今では退廃的なものに高鳴りを感じる人間が寄り付くのみになってしまっている。
3階へ上がる階段。何かが崩壊していく手を阻んでいるが気にしない。
おぉぅ、いぇぁ。
閉業から既に40年が経たんとしている。所々に今ではもう見かけなくなった物も散見された(ハンドルを回して発電する電話機は今でも地方の駅や工場内で見かけたりはするが)。
こんなとこで酒入れてマトモな頭しないで麓まで歩いて帰れたのかよ・・・。たまーに廃墟ってやばい物が置いてあったりする。あちゃ〜ってなるような物とかもね笑。どんな性癖(誤用)だよって。実は残されている「それ」がついさっき使われていたような形跡があったりもする。それに気がついたと同時に、危険が近くに潜んでいるかもしれない、と顔面蒼白になる。
とりあえず来た道を下る。冬になると雪をかき分けながらの捜索になるらしい。
広辞林。
素晴らしい。持って帰りたい。
事務所。さようならポットよ。