平成30年8月25日
宮崎県えびの市に伝説の温泉宿がある。その名も吉田温泉鹿の湯だ。那須塩原の老松温泉喜楽旅館と似た味を持っている。かなりくたびれた温泉なのだ。行ってみるしかない。
旅館業はやっていないらしく、宿泊はもうできないようだ。なので今回は半日ここで休憩することにした(宿泊ではない、休憩だ。大事なことなのでry)。休憩部屋。台所がなんていうか生活感の塊。
誰のだよと突っ込みたくなる食器たち。まぁ休憩だからね。よくわからないものも紛れ込んでいても何も驚かないよ。
床はなんだか歩くたびに下にめり込む感がするのだが・・・。その板で腐りかかっている部分を隠しているようだが、隠しきれないほどの軋み・・・。
宿主さん、掃除は苦手だが話をするのは好きらしく、色々話して下さった。今日は自分以外は誰も宿泊者、・・・いや休憩に訪れる人はいないため、どの部屋を使ってもいいし、夜中に適当に冒険してもいいよ、とのこと。・・・自由すぎる!!!今回自分が寝る部屋は昭和期に増築された部屋にしたが、明治期に建てられた部分でも寝ることができるし、探検することもできる。とりあえず色んな部屋を見て回ってみる。
あら、向かいの廃墟は中が凄まじいことになっているわね。なんのトロフィーだろう、
電話予約していたが、「8月中に車で休憩しに来る人がいるのは覚えていたんだけど、いつかは忘れちゃってねぇ。でも見かけない車が来たから、あぁ、あの電話してきた人が来たのか、と思い出したよ!」と宿主さん。適当ですなぁ・・・。こんな調子なので勿論インターネット予約なんてしていないし広告も出していない。それでも休憩しにやって来る人なんて相当変わりものが多いらしく、京大の虫を観察する研究室の人や、家出した少女、自転車で1年以上全国を回っている人、病んでしまった人が来たりしているようだ。
確かにここにわざわざ電話をかけてやってくる人は変わり者が多いでしょうねぇ。インスタ映えなんか狙っている連中からしたら最も遠い旅館じゃないの。ま、そんなのいない空間の方が居心地いいに決まってるじゃない。
家出の少女はここに1年10ヶ月もいたらしい。すごい・・・家でを超越している・・・。
毎年ここに全国のライダーが50人集まってオフ会をするらしい。いいなぁ。絶対楽しいだろうなぁ。いつかは自分もそういう同じ趣味を持つオフ会に参加してみたいものだ。ただ、ここに50人って床が抜けそうなのだが本当に50人入りきれるのか?55kgしかない男一人が廊下歩いてもキィキィいうのに・・・?
色んな部屋を回ってみるが、今回案内された部屋が窓の数が多くて良さそうだ。エアコンなんかないので網戸で寝ざるを得ないから、部屋選びに窓の数は非常に大きなポイントだ。
薄暗い廊下。この2枚の写真を見ただけで休憩お断りの人もいるだろう。
色んなものが無造作に置かれている。大きいものは捨てるにもお金がかかるもんねぇ。そのまま置いておく気持ちもわかる。実はこの建物自体、消防法に引っかかっており、親戚などとの様々な事情によって再来年くらいには取り壊してしまうという。そうなると再建して旅館業を再開することはないという。色んな人と話すことができるのは楽しいが、それ以上に再建してまで経営を続けていく理由はないし、経営状態も思わしくないらしい。
でも道を塞ぐように冷蔵庫と電子レンジが置いてあるのは分からない。というかこれ電気通ってるし!使えるじゃん!
廊下をローアングルから。
お部屋。古い1Rの一人暮らしの部屋という感じ。カーペットにはものすごい量の髪の毛。
入口部分。
黒板には今週の予定が。よく見ると外国人の名前が書いてある。
別棟にある温泉。休憩者だけでなく、地元の方が車で多くきている。
番台部分。今は誰も座っていない。先客がいたため、浴室の撮影はできなかった。明日の朝もう一度行ってみよう。
入口。
廃墟となっている建物も何棟か隣り合っている。
あら^〜
洗濯機。あまり使っていないようだが、聞けば使わして下さった。なかなか異様な雰囲気に包まれた空間で洗濯物を洗うことになるが、洗えることに越したことはないので一周中に溜まった洗濯物をドバーッと投入。
なぜこんなにゴミと廃墟が・・・?聞けない、聞けやしない。
夜になると廊下にある照明は心もとなくほとんど真っ暗の状態に成る。ストロボをつけて撮影を試みるがさながら廃墟のようだ。
平成3年製のブラウン管テレビ。デジタルチューナーをつけて今も現役だ。
部屋にあるアイテムたち。
朝。もうこの家に住み着いて数ヶ月経ったような部屋のようだ。
葬り捨てられたテレビ。
お風呂。そして最後、部屋に戻って片付けをする。今こうやって部屋の中にいるけれど、もうここに来ることはないだろうし、また行きたいと思っていてもその頃にはこの空間は跡形もなくなっていることだろう。しかし今この瞬間、確実にここにいる。ふと部屋の一面を見渡す。ここはいずれなくなってしまうのだ。机に頬杖を立ててみる。やはり自分はここにいる。しかし自分を含め誰もがこの空間には永遠には居られない。そこにロマンを感じる。