平成29年3月2日、再訪:平成30年6月24日
神奈川県横須賀市にある田浦駅。ここから歩いて20分もしないところに、廃墟街が存在する。
小高い山の麓にその集落はある。なんの変哲もない住宅街にある踏切を渡って少し歩くと・・・
ご覧のような、いかにも「別世界」への入口のような道が姿を現す。
一番初めにこの建物が出迎えてくれた。大規模な再開発を計画し、住民を追い出し、各戸に取り壊し用の番号までついていたのだが、計画が頓挫してしまい以後20年このまま放置されてしまっている。
う〜ん、別世界である。
無関係な人間の立入を拒んでいるようだ。
なかなか進むのは難しい・・・が気にせずどんどこ進む。
近くに日本人形が置いてあった。屋内ではなく、道の上にである。誰かが意図しておいたのだろうが不気味である。
ポンプ式の井戸も見られた。
このお宅の中を見てみよう。
ほほぅ。なんだなんだ、笹が沢山あるぞ。階段は朽ちってしまっているようで2階へは進めなさそうだ。
ここのお宅は・・・おぉ、なんだか20世紀末期の雰囲気をプンプン出しているものが沢山あるぞ・・・
いろいろなものが散らかっていた。
外であろうが、物が散乱していた。自分の家がこれほど長い年月放って置かれたら・・・と考えると身の毛もよだつ気分である。
◯に囲まれた数字が、取り壊しを管理する番号であったらしい。
さらに廃墟街の奥へと進む。
ここはサッカー少年が住んでいたのであろうか。しかし不自然である。再開発なのであれば一夜のうちに家を手放すことはなかったはずである。調味料等の細々したのが屋内に取り残されているのは頷けるが、どの家も、これはさすがに新居地に持っていくだろうというものが置いてかれたままになっていた。
ゴミ集積所・・・であったらしい。付近にはもはや収拾不可な粗大ゴミしか転がっていない。
蔦に入口が覆い尽くされている家もあった。かき分けると・・・
あった。入口だ。(当然だ。)
お風呂場。
扉が完全に解放され、侵入し放題になってしまっている家も散見された。
バイクもある。蔦との見事なコントラストを演出している。ここが巨大なアートなのではないかと錯覚するほどだ。
この集落、実は車が通れるような広い道が存在しない。皆どの様に生活していたのか。皆バイクのみだったのか。
大八車。まさかこれを自動車代わりにはしてないであろう。
廃墟街の末端は草木がぼうぼうに茂っており、奥へと続く一本道を進むことは出来なかった。が、看板を見ると、自然道になっているらしい。夏に行ったものなら虫に刺されどうにもならなくなりそうである。
自転車。これは使えそうだ。
帰りは京急田浦駅まで歩いた。JR田浦駅よりは少し離れているが、京急の駅前の方が栄えていた。
再訪
〜ここから再訪〜
もう一度田浦集落を見て見たいと思い、再訪した。一回来たことがあるにもかかわらず、最初道を間違えてしまい、前回歩くことがなかったトンネル内を歩くことに。トンネルに入る時点で間違えていることに気づいてはいたのだが、トンネルの先にある景色が気になり、そのまま先へと進んだ。
先に進むと封鎖されたトンネルが。どうやら昔は逗子まで道が続いていたらしい。通りかかりんおじさんが話してくださった。この2本のトンネルを含む道は真っ直ぐで、緩やかな勾配になっている。これは、逗子から田浦方面へ、水を運ぶための水路も兼ねていたからだという。
「後入車優先」なんてあったらたまったものじゃない。
いい感じに錆が進んでいる。
正しい道に戻って集落の入口までいってみると・・・。あら、入れなくなっている。なんでもメガソーラー発電装置を建てるらしい。ニュータウンを作ろうとして住民を立退きさせた後に計画が頓挫して今の今まで放置されていたが、ようやく土地の使い手がたったようだ。
確かに、メガソーラーなら土地を一度更地にしてしまって建設費用も抑えられるだろうから手っ取り早いのだろう。西武鉄道も横須賀にソーラー来年に完成させるらしいし、手っ取り早く更地にさせた方が好ましいような地域は、今後こう言った開発が進められるのかもしれない。
就活が終わって初めての遠出。一応希望通りの企業につくことが一安心していたが、このように「旅行」という自分へのご褒美として今日までしてこなかったので、この景色を見た時鳥肌が立つほど感動した。夏はすでに来ていたのだ。
「平成最後の夏」でもあり、学生時代最後の夏にもなる。どんな夏になるのだろう。