令和3年9月5日、再訪:令和3年9月25日、再再訪:令和5年6月11日
美唄市にあった、日本では珍しい円形の形の校舎。教室は校舎の中心から放射状に広がっており、四角ではなく、扇型であったと言う。校舎の前にはかなり旧式のレガシィが置いてあった。学校が閉校となったのは昭和49年だが、それよりは後の時代の車両であるので、不法投棄された車両だろう。あるいは、近くにジャッキが落ちていたので、動けなくなってそのまま・・・という可能性もある。
しかし、芸術点の高い草ヒロだ。
校舎。圧倒的だ。2階や3階にシャッターがあるのは、ここから渡り廊下になって別の校舎につながっていたであろうことを教えてくれる。
付近の三菱美唄炭鉱が閉山したのは昭和47年のこと。最盛期には30000もの人口を誇り、この校舎には1570もの子供の声が響き渡っていた。
1570人も、だ。想像ができない。
この窓の向こうで、たくさんの児童が勉学に励んでいたのだ。
ガラスは全て割れてしまっている。
そしてこの校舎の特徴は、1階の大部分が水に犯されていると言うことだ。つまりは水鏡を容易に行えると言うのだ。なるほど、これは中から撮るべきだ。今回は諦めたが、近いうちにリベンジしようと思う。
なかなか怖い・・・。
壁は全て剥落し、天井もほとんど朽ちて鉄骨剥き出しになった体育館跡。視界全てがこの形式とは、贅沢すぎる。
あ、ここ好き、としばらく余韻に浸っていた。熊鈴・藪漕ぎ必須の美しい廃墟であった。
〜ここから再訪〜
ここからは再訪した時の写真だ。1回目訪問から3週間しか経っていない。それだけ、内部からの写真を撮りたくて仕方がなかったのだ。
というわけで、体育館跡の撮影もほどほどに、ヘッドライトと手持灯を持って校舎へと向かう。
校舎と廃車。なかなかすごい景色だ。
後三ヶ月もすれば、深い雪に埋もれてしまうことだろう。
座席にびっしりと張り付いた藻。
校舎。
屋上へ登る梯子。流石に登る気にはなれない。こんなところで怪我したら助けも呼べず熊の餌になるだけだろうから。
中は暗い。正直ちょっと怖い。
1階の昇降口及びほとんどの教室は水没していたが、今回訪問した時は1つの教室はまだ水没していなかったため、その部屋の窓から中に入り込む。
とても珍しい円形校舎。校舎の中央部に螺旋階段がある格好だ。
茂みによって日光が遮られ、1階は薄暗い。
廊下。廊下が曲がっているというのはなんだか新鮮だ。
教室跡。
写真では分かりづらいかもしれないが、円形校舎の外側に配置される教室を四角にすることは物理的に不可能なので、扇形をいている。黒板側がすぼんでいる。
教室によっては隣の部屋と貫通しているところがあった。この部屋がなんの部屋なのかは分からないが。因みに、残留物は全くない。
こちらはお待ちかね、1階の水没教室。hdrモードにて撮影。
そして通常モードで撮影。水鏡によって水面にも浮かぶ窓越しの緑の美しさに思わず息を飲む。
その上の2回の教室。レイアウトは同じだが、光の当たり具合、水がないだけで、これほどにも印象が変わる。
教室が扇形であるのがよく分かる写真があった。写真の奥側が黒板側で、廊下につながる。
水道跡。蛇口は取り払われている。
隣の棟へ渡る廊下があったが、取り壊されたのでシャッターの先は死。
螺旋階段ではない方の階段。
螺旋階段。かっこいい。フルサイズカメラ+大広角レンズを持っていたら、もっと近くに寄ってから撮ってみたいとも思う。
中央部には謎の空間。給食用の昇降機とか・・・?
手すり。
昭和58年に書かれた、同窓生に向けた落書き。その後、元気ですか?
螺旋階段。
この後者の特色の一つでもある、最上階3階の天井部からの採光部。色とりどりで綺麗だ。
いいねぇ。
廊下から覗く緑。
いいねぇ、いいねぇ・・・。
廃墟が本気を出した時に見せる景色。
床。コンクリなので歩いていて不安になる箇所はない。
とても良かった。緑を撮りたいのだなら、今の時期くらいが近づくにはベストだろうなぁ。
~ここから再再訪~