令和元年8月25日
内房の東京湾フェリーが到着する浜金谷駅からほど近い場所に観光地として盛り上がりを見せている鋸(のこぎり)山がある。江戸時代には栄えていたというが、昭和初期に大火が起きて多くを焼き尽くしたのち、廃れた場所になっていたという。昭和40年代に復旧をし、今に至る。ロープウェイで行くこともできるが、有料道路で険しい坂道を登っていくこともできる。
上まで登ると、先ほどいた場所がはるか下に見える。自動車やロープウェイがなかった江戸時代、ここまで登ってくるだけでもうヘトヘトになっていたに違いない。
ここまで高いところまで登ると、景色も大変いいわけで、ちょうど港に横須賀からの船が入ってくる最中であった。
ロープウェイの山頂付近には猫がいた。かなりやせ細っていて見ていると少し苦しい気持ちになる。
さて、駐車場のそばにある小さな小屋のところで600円の入場料を支払い(自身が人がたくさんいる観光地を毛嫌いしているため、当HPでは有料観光地の紹介は稀)、入場。実は5年前にもやって来ているが、今回友人と房総巡りをしているということもあり、再訪することとなった。
有名なお地蔵さんいっぱいゾーン。
頭がない地蔵が多く、中には明らかに元々の頭とは違うものが乗っかっている地蔵もある。夜に行ったら絶対に怖い。
日本一大きな大仏。鎌倉や奈良の大仏と比べてもはるかに大きいらしいそうだ。そんなに大仏を見る機会がないので、これで日本一の大きさなのか、と思ってしまう。鎌倉の大仏はかなり大きく見えていた印象があるが、あれはどうやら思い出補正というものらしい。
長く続く階段を汗ダクダクになりながら登り切ると名所地獄覗きにたどり着く。いい景色だ。そういえば前回家族で来た時は、母もこの階段を登ってきていたことをふと思い出した。数年前から腰が痛くなり、2年前にヘルニアの手術をして腰の調子は良くなったが、今度は膝が痛いらしく、もうあの長い階段は昇りくることはできないだろう。だんだん自分の親が、老いていることに焦りと、悲しさを覚える。
なんだか日本ではないみたいだ。千葉には高い山が存在しないため、空が低く見える。山がちな日本ではあまり見られない風景であることが日本離れした風景に見える理由だ。
地獄のぞきとは写真の箇所のことをいうが、実際にその場に立っている人からするといい景色の見える場所、という感覚しかないだろうが、側から見ると結構すごいことになっている。岩場がオーバーハングしているのだ。こりゃあすごい。
岩場には戦前に明大生の落書きが残されていた。どうやって彫ったんだよ、とツッコミを入れずにはいられないような高い場所にデカデカと彫られていた。戦前に大学生、しかも明大とはかなりの秀才であったに違いない。今生きていれば100歳を超える頃だろう。80年以上前の若者が、どんなノリでここに名前を掘ったかは想像するに難くないが、80年経ってもなお目立つ落書きは、本来蛮行である落書きということを差し置いて、なんだかカッコよく見えてしまうものだ。80年前に彫った時の記憶は、この4人の胸の中に今も残り続けているのだろうか。そして、太平洋戦争を無事に乗り越えられたのであろうか。セピア色でしか想像できないが、きっと彫っている時は最高に楽しかったんだろうなぁ。なんだかノスタルジックな気分にさせられるのであった。