平成31年3月20日
国内有数の廃集落密集地である滋賀県道17号線から側道の急な上り坂を登っていくと辿り着く集落。人が住まなくなって久しく、集落までの道次第では車が立ち往生する恐れがあったので麓から歩いて登ってきた。かなり体力を消耗したが、昔、自動車が無かった時代は隣の集落に行くにも片道1時間かけて坂道を上り下りしていたのだと思うと頭が下がる思いだ。結果からいうと、現時点では自動車でも集落手前まで進むことはできそうだ。
坂道を上って最初に見えてくる家屋には、廃集落にしては珍しく落書きがされている家屋であった。他の建物に落書きをされている様子は無かったので、夜中に度胸試しにやってきて、痕跡を一つだけ残して満足して帰っていった、そんなところだろうか。
ほとんどの家屋が取り壊され、基礎だけになってしまっているが、道はかなり遠くまで、複雑に張り巡らされており、往時はかなり大きな集落だったことが分かる。調べてみると、一世紀前には100人ほどがここに住んでいたらしい。
三和かまど。もうぐちゃぐちゃだ。
このHPではよく出てくる(というか自分が見つけ次第写真を撮ってしまう)小便器。
数は少ないが、まだ形を保っている家屋もある。とはいっても半壊している(いや、普通に全壊判定を受けるだろうが、廃墟としての全壊は、全てが瓦礫と化してしまった時だと勝手に思い込んでいるので、この写真の状態だと自分の場合は半壊認定なのである・・・)ので、中を物色できるのも残り少ないだろう。
ここには確かに人の営みが在ったのだ。時間の経過とは、残酷なものなのである。