令和2年6月7日
昭和時代に塩原から板室へ続く観光道路を開通させる計画があった。塩那道路という有料道路として、那須地域の新たな観光道路として道を切り開くものであった。しかし、道は通じたものの、道路として教養を開始することなく、以後数十年にわたって全通することはできなくなっている。板室側と塩原側、それぞれ起点から8kmほどは現在でも通ることができるが、その間の30kmほどは通行禁止だ。つまりは行止りの山道となっている。当然そのような状況であれば生活道路としての通行はなく、行止りを見てみたい・山道をかっ飛ばしたい人間が自然と集まってくるのだ。特に夜中になれば走り屋の巣窟となるだろう。現に塩原側は頭文字Dでも戦いの舞台として出てきている。まさに走り屋の聖地というところでもあるのだ。しかし管理者側も集まってくる走り屋を迎合するわけではないらしい。午後6時以降は起点部を施錠し、車が入らないようにするのだ。
まずは板室側の行止りへいった。深山ダムへ続く道から分岐する道をどんどこ登っていけば良い。
途中にあった広い路肩に停めて休憩。
自分が住む黒磯の街をバックに。
黒磯。ここから20km離れている。400mm望遠いっぱいで撮影。
あの夏に戻れる気がした。
続いて塩原側。板室側は6台しか車が駐められないが、こちらはもっと多くの台数が停められ、緑に包まれた神秘的な空間が広がる。
塩原温泉群。
栃木は今日ものんびりです。
おそらく半世紀後にはここすらも通れなくなっているだろうから、通っていたという証拠を少しでも多く残しておこうと思った。
道はつづら折りになっている。高低差の違いが分かる一枚。
光芒が綺麗だ。
令和2年6月梅雨前、確かに塩那道路を自分は通った。あのゲートの先は平成中期ごろは自転車で反対側のゲートまで走破できる状態であったようだが、現在は植物に行く道を阻まれ、歩くことすら困難な箇所も出てきている状態になってしまっているらしい・・・。