平成29年11月20日、再訪:令和元年11月15日、再々訪:令和2年7月12日
栃木県の北部に位置する那須湯本温泉。この温泉地に、ひときわ目立つな温泉がある。有名であるその理由は、単にお湯がいい、というだけではない。その旅館が「崩れている」ということだ。崩れていると言っても、経営が傾いているから、とかそういう比喩的な例えではなく、文字通り、建物そのものが「崩れかけている」のである。今回レポートする場所は「老松温泉喜楽旅館」。この旅館がどういった状態なのか、実際温泉に浸かって味わってきた。那須街道から分岐した細い坂道を登ると駐車場があるのでそこに車を停めて温泉へ向かう。
駐車場の真横には倒壊した家屋が。さすがにここまで倒壊した場所に温泉はない。旅館ではないので注意。この温泉地、他にも廃屋が目立ち、この寂寥感たるや、付近の鬼怒川温泉や水俣の湯の鶴温泉を彷彿とさせる。
駐車場の前に「老松温泉喜楽旅館」と書かれた建物があるが、ここはどう見ても廃墟だ。どこかに生きている入口があるのか周辺を探してみる。
建物の周り。入口らしいところは見当たらない。これでは温泉にありつけずに終わってしまう。そんなのは嫌だ、ろくに下調べをせずにやって来たのがよくなかったか。普通の温泉なら何も調べずとも入口の位置ぐらいはわかるものだが。
建物の中を覗いてみる。かなり古い型のテレビがあるし、足の踏み場もなさそうだ。どうやらこの建物は休館か、それとも、撤退した旅館業用の棟であったのだろうか。
あぁ^〜。
どうやら下階があるようだ。もしかしたら、地下で別館(今から行くところ)と繋がっているのだろうか。目的の建物はここから100メートルほどある。地下通路で繋がっているとは考えづらいが、どうやら温泉を引くための地下空間が広がっているらしい。本当にこの2つの建物が地下を介して繋がっているのかは調べてみても分からなかった。
壁にはいろんな温泉に関する知識が書かれている。
ここは温泉に入れる建物ではない、と見限り、坂道の奥の建物を目指して歩く。
あったあった、看板だ。「那須の珍湯」なんていう立派な石碑も立っている。
こんな道を歩いて行くと・・・。
一軒の木造家屋に到着する。ここが求めていた入口だ。
この建物、かなり建物が痛んでおり、裏手に回るとご覧の有様だ。2年前の写真と比較してみると、さらに倒壊が進んでいるのが見てとれる。倒壊部分のすぐ奥の2階が温泉の入口になっていて、踏み入れた瞬間床が抜けないか不安になってしまう。もし似たような廃墟があって、隣の部屋がこんな状態だったら、床が抜ける可能性が高いし、絶対足は踏み入れない。そんな危険さえも感じさせる場所だ。
ちなみにこの建物の近くにも、大きな建物が何件も廃墟になっており、不気味な印象を受ける。
倒壊部分詳細。しかしここは何に使われていたのだろうか、なぜ使われなくなってしまったのだろうか。いろんな疑問が次から次へと絶えない。
温泉の入口の向かい側には、温泉を管理している方が住まわれている家屋がある。こちらが受付となっているので、すみませ〜んと声をかける。すると、奥のほうがら75歳くらいのおじいちゃんが出てきた。先客が一人いるけどゆっくり浸かって行ってください、と中に通してもらった。現在はおじいさん一人で経営をしているらしく、奥さんが数年前に他界してしまったという。それが原因かはわからないが、つい数年前に旅館業をやめ、今は日帰り温泉のみ営業中だ。このおじいちゃんも足があまり良くなく、毎日お湯を沸かすために(源泉は冷たいため、一度沸かさなくてはならない)重い灯油を運ばなければならないので大変だ。
玄関を開けると螺旋状の階段があった。スリッパに履き替えて階段を下る。
2階部分には閉められた襖がある。おそらくここを開けると倒壊部分に行けるのだろう。中はどうなっているのか・・・。非常に気になる・・・が、開けるのはさすがによしておいた。
階段の先へ・・・。
左側には大きなものが敷き詰められている。さっきの倒壊部分だ。なるほど、倒壊部分へ行かさせないようにしているのか。
全体的に薄暗い。電灯の数は少ない。
さあ、暖簾をくぐっていよいよお待ちかねの温泉へ。
脱衣所はまぁ暗い。スイッチを押しても電気はつかない。写真を撮るにもフラッシュを焚かなくてはならなかった。薄暗いから自分のものがどこにあるか分からないし、脱ぐのに一苦労だ。先客がいたため湯船の写真は撮れなかった。湯船に浸かっていたのは鹿沼に住む、糖尿病を患っているおじいさんで、糖尿病に効く温泉だから、と車で2時間半かけてよく来る常連さんだ。糖尿病持ちだから、あまり血圧が上がるといけないから、長湯はできないけれど、ここのお湯なら何時間でも居られるんですよ、といつものんびり浸かっているようだった。だいたいいつも一人でこの浴槽に浸かっているが、たまに自分のような珍しい温泉を求めてやってくる人と一緒になるそうだ。
浴槽は小さめで、5人も入れば満杯になりそうだ。浴槽自体は2つあるが、木製の湯船なので乾かさなければならない。よって一週間に一回、使う浴槽を変えているようだ。今回訪問した時は奥側の浴槽が使われていた。昔は二つの浴槽を同時に浸かって、熱めの湯とぬるめの湯に分かれていたらしい。今は来る人もそれほど多くないし、管理も大変だろうから使う浴槽は一つに絞り、客が蛇口を使って湯加減を調整し入るのだ。蛇口は二つあり、沸かしたものと、源泉の冷たいものが出てくる。
源泉は飲むことができるので、コップが備え付けられていた。おじいさん曰く、何杯も飲めるようなものではないから、たくさん飲むのは勧めないですけどね、とのこと。一口飲んでみた。卵の殻を何個も潰して水に溶かしたような強烈な味がした。確かに一杯飲むだけでもクラっとしそうだ。思わず2、3口で飲むのをやめてしまうほどだった。
日帰り温泉を経営するにも税金を払わなければならないし、灯油の値段だってあれだけ多くのお湯を沸かすのだからバカにならないだろう。おじいさん一人で管理していくにも大変な部分もあるだろう。それなのにそれほど多くの売り上げは見込めないため、経営的には厳しいという。息子さんもいるらしいが、後継はせず、民間企業に勤めてしまったようで、そろそろ温泉自体もやめてしまうのでは、と噂が立っている。しかし、この常連さんのように、このお湯を求めて遠方からくる人もいるし、愛してくれている人が何人もいるのも事実だ。簡単にはやめられない、「情」の部分もあるだろう。しかし経営を続けるのも難しいというまさに板挟み状態なのだ。自分一個人としても、これだけ独特な雰囲気を持つ温泉なんて全国を探してもそうそうないし、続けていってもらいたいと思うところはある。が、建物は直すというよりも建て替えないといけないだろうし、費用は何百万、何千万円にまで膨れるだろう。そうしたことも考えると、お店を畳むことが一つの賢明な判断であるということに納得せざるを得ない。
自分が後から入ったにもかかわらず、途中で熱くなってしまい、おじさんよりも先に上がることにした。いい湯ですからまた来てくださいね〜と言って下さった。とても体温まる空間であった。
脱衣所前の廊下。少し奥の方まで進んでみようとしたが、床がしなってしなって仕方がない。冗談抜きで床が抜けそうだってので、これ以上先に進むのは断念した。床が波打っているのが画像からも分かるであろう。この先がどうやらかつての宿泊者向けの部屋あるらしい。その奥にはもう一つ浴槽と、温泉を引くための地下通路があるらしい。
これから先、この建物がどうなるか分らない。もしかしたら自然と朽ち果てていくのをただ待つだけなのかもしれない。分らない。が、自分は今、とても満足している。向かいのおじいちゃんに風呂から上がったことを告げ、帰路についた。
〜ここから再訪〜
2年ぶりにやってきた。前回は父親が前に乗っていたレガシィで、今回はマイカーで。紅葉の綺麗な時期だった。
右側にはコタツに入ったおじいちゃんが。お金を渡し、とりあえずお風呂を目指そう。
今回は携帯ではなく広角レンズを搭載したカメラできているため、前回よりも広い画角で写真が撮れる。お、先客はいないようだ。
あら〜いいですね〜。この感じのところに一人で入れるっていうのがこの上なく堪らない。そして温泉を飲んでみる。あれ?味が薄くなった?本当に味が薄くなったのか、それとも全国の強烈な味の温泉の味にしたが鍛えられただけなのか・・・?いいお湯であることは間違いない。
因みに暖簾を潜らず廊下の先へ行こうとすると、やはり床が抜けそうなほど柔らかく、絨毯になっているので分からないがおそらく床板自体は朽ち落ちていて骨組みだけになっているようだ。写真に写っている暗闇の先は、それどころか扉の前までもたどり着くことはできなそうだ。 この先にはきっと、2年前に訪れた廃墟と化した客室部分に繋がっているのだろう。
脱衣場。良かった、今日は電気がつく。
天井や
溝は温泉の成分でご覧の通りだ。
現役の建物にはとても見えない一コマである。
左にある部屋を覗いてみると、いたって普通の空間が広がっていた。異様に綺麗だ。窓の外を見ればわかるがもう真っ暗だ。ストロボを焚かないと真っ暗で何も見えないので、ストロボを焚いた瞬間に、思った景色とは違う綺麗な部屋が一瞬だけ見えて、「?」となり、撮れた写真を見てもやはり綺麗に整頓されていて「?」であった。
でもやはり、倒壊した部分へつながる道は固く閉ざされている。
さて、そろそろ閉店の時間だし、自分が出終えたことを告げないといつまでたってもお湯を沸かし続けねばならなくなってしまうであろうから、風呂から出たことを伝えに行った。2年前に1度きていたことを伝えると、テレビを見て一度来る人はいるんだけど、リピーターはあんまり見ないし、お前さんは若いのに珍しいね、と言われた。ずっと川崎に住んでいたが今は黒磯に住んでいるのできやすくなっのだ、と伝えれば川崎の●●というお店が〜黒磯の病院の前の角の肉屋が〜と色々お話をしてくださった。お詳しいんですね、というと今まで日本全国を回り、海外も40国行ったという。自分も47都道府県宿泊しているが、海外に興味がなく2カ国しか行ったことがない。海外の話をされてもつまらないので、しれっと国内の話に進ませる。聞けば車が相当好きで昔はサーキトをビュンビュン走っていたという。高速道路もとんでもない速度で飛ばすような仲間も何人もいるのだという。ご主人は今69歳だが、30年ほど前、当時の65歳の人が高速で230km/hですっ飛んでいてとんでもねぇ歳でとんでもねぇことしやがる、と半ば自分がそのとんでもねぇ歳を過ぎていることに悲しみを覚えつつも語ってくれた。お前さんは車で来たのかい?何乗っているんだい?と聞かれ、ランエボだと答えると、ランタボかぁ、でも俺は小型エンジンをぶん回すのが性に合っていたなぁ、と言っていた。それと同時に、ここに来る若い人はほとんど観光の一環で、レンタカーで来る人が多いし、最近の人は車興味ない人多いよねと少し悲しんでもおられた。テレビには36回出ているけれど、お客さんが増えるのは放送後の一瞬で、採算は取れてないのよ。因みに放映後は放映の様子をDVDに焼いてよこしてくるんだけど、あいにく購入したテレビが温泉の成分で2ヶ月でやられて映らないのよ。そもそも●HKが大嫌いだから受信料も払いたくないしこの状態がちょうどいいのよ、と笑いが起こった。本当に即刻にでも辞めたいと思っている。もう思い残すことはないし、逝ってもいいんだよね。毎日お湯を炊くのも燃料代も体力も使うし疲れちゃうのよと言う。源泉は何度なんですか、と問うと、玄関の左を指差し、そのカーテンの向こうに源泉があるから覗いてみなと指をさす。覗いてみると気になっていたあの先を拝むことになった。戦後間も無くに手彫りされた湯船の方へと向かう洞穴だ。
かっこよすぎる。びっくりだ。いいものを見せてもらった。源泉は30度に満たないくらい。それを一度60度以上にまで上げてから湯船に投入するそうだ。他にもスーパーの部長になって海外に行きまくった話、飽き性だが一度はまった趣味は常人以上のレベルまで突き詰めたくなる性なのでカメラや音響機器についてはかなり詳しく、スキーやスキューバダイビング、グライダーもこなし水陸空地球上あらゆる場所がフィールドで驚かされた。自分が今勤めている会社についての話(公共性の高い仕事なので、色々な話を聞けた。自分が生まれていない時代の話まで)等、本当に多方面で詳しく、自分もこれだけの引き出しを持てる男になりたいと思わされた。いつの間にか2時間も経っている。流石に帰ることにした。一人暮らしで付近にご近所さんがいるわけでもなく淋しいのだろう。ただ一人コタツでゆっくりとお客さんを来るのを待ち続けているのだ。
崩壊具合は前回とあまり変わってはない印象。
この時間の荒廃感はおどろおどろしい。
ここで気がついたのが、携帯を車に忘れてしまったこと、常時地面を照らせるものがない。ストロボを定期的に炊いて道の具合を確かめながら歩くが、何せ真っ暗なため足を踏み外して奈落の底の中へ引きずり込まれてしまわないか恐怖心にかられながら、すっかり冷え切った体で同じく冷え切った車に乗り込み家へと向かうのであった。
〜ここから再々訪〜
那須の2大珍湯である雲海閣に入ったあと、ここ老い松温泉にも入ろうと意気揚々とやってきたが、どうやら様子がおかしい。駐車場は雑草がいつもより伸びており、温泉前にも、以前は軽自動車の幅分は雑草が伸びていなかったはずが、両側がだいぶだらしなくなってしまっている。調べると、どうやら令和元年末に閉業したそうだ。前回訪問からちょうど1ヶ月後のことである。前回、閉業前に運良く行って来られたのだと思うとともに、もう2度と、あの地下通路の先や、くたびれた温泉を楽しむことができないのだと思うと寂しさがこみ上げてきた。
この廃れ具合は現役当時からそのままだ。
さようなら、老松温泉・・・。