令和7年6月14日

奈川小学校入山(にゅうやま)分校跡を目指す。この付近はかつて宿場町として栄えたが、モータリゼーション及び道路整備の結果廃れてしまった。辺りには何軒もの建物が並んでいたといい、今も家屋を確認できたが、住んでいる様子のある建物は、ぱっと見では見受けられなかった。

通り沿いに、こんな感じで建物が立っている。雨が降っていて、廃村感が引き立っている。

外から内部が丸見えだった。

壁にかかった酒店のポスター。

障子の枠が良い感じに朽ちていた。

雰囲気が出ている。


どれも素敵な造りの木造家屋なので、げんえきじだいは町歩きも楽しい場所であっただろう。

小学校は集落から一段と高いところにあり、坂の手前に丁寧に案内看板が立っている。どうやら現在残っている校舎は昭和8年に建てられ、昭和44年に閉校になるまでの36年間、役割を全うしていたらしい。

坂を上ると、校門が。


門柱には、校舎がここに建てられた昭和8年の文字が。


校舎外観。昇降口部の赤い屋根が雨で光沢を帯びているのが良い。



内部。


和室があった。用務員室とかであろうか。

傘付の電球。

注意書き。

廊下。

外は雨が降っていて、とても薄暗い。

教室は2つほど。

おお。

4つだけの机とオルガンが残っている。絶妙な配置だ。

歪んだ窓枠に、この校舎があとこの姿を保っているのか、心配になる。

背後から。

机を主体に。

横から。

前から。

後ろには棚があった。残留物は殆どない。

しかし、昭和43年の文字が入った新聞紙があった。廃校直前期のものだ。

黒板には何か書いてあった。楽譜が大きい。


黒板脇には和傘。美しい朽ち具合…。

足踏み式オルガン。雰囲気がやばい(語彙力)。


晴れだったら、もっと明るい雰囲気で撮れるのかもしれない。

広間っぽいところ。

もう一つの教室。ここには机が1個しか置かれていなかった。

ここで児童が、学んでいたのだ。

ここに子供たちの声があったのは、もう56年以上前のこと。

当時の在校生や卒業生は少なくとも還暦を迎えている。


その頃の記憶が、名も知らぬ誰かの心に宿り続けている。

こちらは、付近にあった建物。


相当に歪んでいる。平衡感覚を失うほどだ。ここまでくると、きっと、そう長くは持たないだろう。

帰り道。きりが出ていて、さらに幻想的になっていた。幽玄な世界。間違いなく吸い込まれてしまうような景色に、写真を撮る手が止まらなかった。