令和7年6月14日

昭和50年頃に、付近一帯を一大観光地にしようという計画が立てられ着工したが、全種運航する前に計画頓挫してしまった施設の跡地がニコイ高原に残る。

こちらは、基礎だけが作られた状態でそのままになっており、これがいったい何になる予定だったのかは不明。

隣には、レストランになる予定だった建物と思わしき構造物がある。

1階。窓から差し込む緑色が美しい。

恐らくここにテーブルが並んで、食事が摂られる計画だったのだろう。これからバブル期に入る手前で会社が倒産してしまったのだが、もう少し計画が遅ければ、融資を受けて完成まで漕ぎ着けていた未来もあったのかもしれない。

ザ、廃墟。

厨房計画地跡。

証拠に、食膳用のエレベーターがあった。

奥は、ガラス製の大屋根になっており、明るかった。

こちら側は、窓や屋根に穴が開いているため、植物の浸食を許していた。


桃色の花を咲かせた1本の木が、大屋根の下に生えていた。芸術点が高い。

入り口前には重機。あまり詳しくはないが、50年前の物には見えない。

2階(3階もあるように見えたが、3階へ続く階段があるであろう廊下が朽ちていたため進行を断念し未確認)部分は吹き抜けになっており、天井が高い。

まるで温室のようになっている。

晴れて営業してお客さんが楽しく食事をしている姿が容易に想像できる…。

2階へ続く階段。

大分朽ちている。

上から吹き抜け部分を見下ろす。この先は、足元が頼りなかったため、進めなかった。どんな感じの設計になっていたのだろうか。ここに一大観光地ができて人で賑わっていた未来を想像して汗を垂らした方たちの想いを想像すると、いたたまれなくなる。